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賢所
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*岸泰子『近世の禁裏と都市空間』思文閣出版:書評[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsahj/64/0/64_109/_article/-char/ja] | *岸泰子『近世の禁裏と都市空間』思文閣出版:書評[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsahj/64/0/64_109/_article/-char/ja] |
2019年5月3日 (金) 時点における版
賢所(かしこどころ)は、八咫の鏡を奉安する神殿。伊勢神宮の天照大神を祀る。古くから宮中に祀られ、現在は皇居の宮中三殿の中心神殿。神器関連旧跡。賢所関連旧跡。伊勢神宮関連旧跡。内侍所東幸旧跡。近代天皇祭祀。通称は内侍所(ないしどころ)。平安宮では温明殿(うんめいでん)や春興殿(しゅんこうでん)に奉安されたためその殿舎の名でも呼ばれる。現在の賢所には2枚の鏡が祀られており、そのため神輿は2基用意されている。
歴史
孝徳天皇の頃から神器が即位に関わると認識されるようになった。 鏡が神格化され、奉斎の対象となるのは10世紀以降という。
平安時代、天皇は毎朝、石灰壇で賢所を遥拝した。
資料
- 岸泰子『近世の禁裏と都市空間』思文閣出版:書評[1]