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賢所

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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12月の賢所御神楽は『禁秘抄』『一代要記』によると、一条天皇の時代に隔年で始められた。
12月の賢所御神楽は『禁秘抄』『一代要記』によると、一条天皇の時代に隔年で始められた。
白河天皇の承保年間から毎年となった。
白河天皇の承保年間から毎年となった。
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内侍所とは本来、内侍司が管轄する役所の名称。他に「所」の名を持つ役所としては政所(まんどころ)、蔵人所(くろうどどころ)、和歌所(わかどころ)などがある。
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内侍所の庁舎は温明殿内に置かれ、そして内侍所に所属する内侍たちが同じ温明殿にある神鏡を管理したので、
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神鏡や賢所のことを内侍所と呼ぶようになったと思われる。
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(ちなみに春日祭で春日大社に派遣された内侍が入る殿舎も内侍所と呼ばれた。現在は式年造替の時の仮殿として使われており、移殿または遷殿と呼ばれる)
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徒然草では神鏡のことを内侍所と呼んでいる。
==資料==
==資料==

2019年5月22日 (水) 時点における版

賢所を中央とする現在の宮中三殿
東京と京都を往復するために使われた賢所乗御車

賢所(かしこどころ)は、八咫の鏡を奉安する神殿。伊勢神宮天照大神を祀る。古くから宮中に祀られ、現在は皇居宮中三殿の中心神殿。神器関連旧跡賢所関連旧跡伊勢神宮関連旧跡内侍所東幸旧跡近代天皇祭祀。通称は内侍所(ないしどころ)。平安宮では温明殿(うんめいでん)や春興殿(しゅんこうでん)に奉安されたためその殿舎の名でも呼ばれる。現在の賢所には2枚の鏡が祀られており、そのため神輿は2基用意されている。

歴史

孝徳天皇の頃から神器が即位に関わると認識されるようになった。 鏡が神格化され、奉斎の対象となるのは10世紀以降という。

平安時代、天皇は毎朝、石灰壇で賢所を遥拝した。

12月の賢所御神楽は『禁秘抄』『一代要記』によると、一条天皇の時代に隔年で始められた。 白河天皇の承保年間から毎年となった。


内侍所とは本来、内侍司が管轄する役所の名称。他に「所」の名を持つ役所としては政所(まんどころ)、蔵人所(くろうどどころ)、和歌所(わかどころ)などがある。 内侍所の庁舎は温明殿内に置かれ、そして内侍所に所属する内侍たちが同じ温明殿にある神鏡を管理したので、 神鏡や賢所のことを内侍所と呼ぶようになったと思われる。 (ちなみに春日祭で春日大社に派遣された内侍が入る殿舎も内侍所と呼ばれた。現在は式年造替の時の仮殿として使われており、移殿または遷殿と呼ばれる) 徒然草では神鏡のことを内侍所と呼んでいる。

資料

  • 岸泰子『近世の禁裏と都市空間』思文閣出版:書評[1]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%B3%A2%E6%89%80」より作成

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