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足利神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年10月25日 (火)

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'''足利神社'''(あしかが・じんじゃ)は栃木県足利市家富町の[[鑁阿寺]]にあった神社。祭神は「足利大権現大己貴命、倉稲魂国常立尊(あるいは稲荷)、日須美明神伊弉諾尊、天照大神大日霊尊、牛頭天王素戔嗚尊、加茂明神建角身命、貴布禰明神高〓命」(南北朝時代の「勤行次第」)。'''足利七社'''。'''足利権現'''、'''足利大権現'''。
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[[ファイル:鑁阿寺御霊屋-08.jpeg|thumb|500px|現在の鑁阿寺御霊屋(赤御堂) ]]
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'''足利神社'''(あしかが・じんじゃ)は栃木県足利市家富町の[[鑁阿寺]]にあった神社。祭神は「足利大権現[[大己貴命]]、[[倉稲魂]][[国常立尊]](あるいは[[稲荷]])、日須美明神[[伊弉諾尊]]、[[天照大神]]大日霊尊、[[牛頭天王]][[素戔嗚尊]]、[[加茂明神]][[建角身命]]、[[貴布禰明神]][[高〓命]]」(南北朝時代の「勤行次第」)。'''足利七社'''。'''足利権現'''、'''足利大権現'''。
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== 歴史 ==
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創建不詳。元は[[足利家]]邸の鎮守で、鑁阿寺の鎮守となった。[[足利尊氏]]は足利義兼の遠忌の際に安房国の南毛谷郷を寄進した。6月26日に足利庄の住民を挙げて祭典を行っていた。徳川家斉が社殿再建し現存。明治4年、神仏分離のため神社としては廃絶。9月、社殿に足利歴代の像を奉遷して御霊屋(赤御堂)となった。
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創建不詳。元は[[足利家]]邸の鎮守で、鑁阿寺の鎮守となった。足利尊氏は足利義兼の遠忌の際に安房国の南毛谷郷を寄進した。6月26日に足利庄の住民を挙げて祭典を行っていた。徳川家斉が社殿再建し現存。明治4年、神仏分離のため神社としては廃絶。9月、社殿に足利歴代の像を奉遷して御霊屋(赤御堂)となった。
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(『足利庄鑁阿寺』『鑁阿寺小史』)
(『足利庄鑁阿寺』『鑁阿寺小史』)
[[category:栃木県]]
[[category:栃木県]]

2022年10月25日 (火) 時点における最新版

現在の鑁阿寺御霊屋(赤御堂)

足利神社(あしかが・じんじゃ)は栃木県足利市家富町の鑁阿寺にあった神社。祭神は「足利大権現大己貴命倉稲魂国常立尊(あるいは稲荷)、日須美明神伊弉諾尊天照大神大日霊尊、牛頭天王素戔嗚尊加茂明神建角身命貴布禰明神高〓命」(南北朝時代の「勤行次第」)。足利七社足利権現足利大権現

創建不詳。元は足利家邸の鎮守で、鑁阿寺の鎮守となった。足利尊氏は足利義兼の遠忌の際に安房国の南毛谷郷を寄進した。6月26日に足利庄の住民を挙げて祭典を行っていた。徳川家斉が社殿再建し現存。明治4年、神仏分離のため神社としては廃絶。9月、社殿に足利歴代の像を奉遷して御霊屋(赤御堂)となった。 (『足利庄鑁阿寺』『鑁阿寺小史』)

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