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金剛三昧院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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(?歴代住職)
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*12実融(1247-1339)<1304->:証道流の祖。京都出身。[[藤原氏]]。1247年(宝治1年)(1250年(建長2年)とも)生。定円について得度。[[泉涌寺]]智鏡、[[東大寺戒壇院]]の円照から戒律・密教を学ぶ。また[[東大寺尊勝院]]の宗性から華厳を学ぶ。[[高野山安養院]]の頼賢から伝法灌頂を受けた。1304年(嘉元2年)金剛三昧院長老。1334年(建武1年)後醍醐天皇から綸旨。[[足利尊氏]]の帰依を得た。1339年(延元4年/暦応2年)1月19日(15日とも)、金剛三昧院で死去。静空。証道上人。
*12実融(1247-1339)<1304->:証道流の祖。京都出身。[[藤原氏]]。1247年(宝治1年)(1250年(建長2年)とも)生。定円について得度。[[泉涌寺]]智鏡、[[東大寺戒壇院]]の円照から戒律・密教を学ぶ。また[[東大寺尊勝院]]の宗性から華厳を学ぶ。[[高野山安養院]]の頼賢から伝法灌頂を受けた。1304年(嘉元2年)金剛三昧院長老。1334年(建武1年)後醍醐天皇から綸旨。[[足利尊氏]]の帰依を得た。1339年(延元4年/暦応2年)1月19日(15日とも)、金剛三昧院で死去。静空。証道上人。
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==資料==
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*「金剛三昧院文書」:『鷲峯余光』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1151295/109]。『岸和田市史史料』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2987848/14]。『日本の神―神道史学のために』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3451587/69]。『八日市市史』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9571216/154]。『田原本町史』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9576585/56]
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*「高野山金剛三昧院短册」:1344年(興国5年/康永3年)。『続群書類従』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1785673/19]
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*1939「金剛三昧院の略史と其の文書について」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1219227/261]
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*朝日道雄1939「高野山金剛三昧院多宝塔の諸仏に就て」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1523507/56]
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*辻善之助1941「行勇と金剛三昧院」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1238939/10]
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*青木啓明2000「在田荘の伝領と安達氏・金剛三昧院」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3173679/88]
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*青木啓明2000「澄海の在田荘支配と安達氏・金剛三昧院」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3173679/90]
[[category:和歌山県]]
[[category:和歌山県]]

2022年9月24日 (土) 時点における版

金剛三昧院(こんごうさんまいいん)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある真言宗寺院。鎌倉将軍家の菩提寺。本尊は愛染明王。現在は金剛峰寺の子院だが、元は金剛峰寺や大伝法院と並ぶ格式をもった本山級寺院だった。鎌倉幕府が創建。関東祈祷所


組織

歴代住職

律宗兼学だからなのか、長老と称す。

  • 1退耕行勇()<1234->:1234年(文暦1年)、金剛三昧院初代長老に就任。
  • 2隆禅()<>:
  • 3
  • 4
  • 5真空(1204-1268)<>:京都・大通寺開山。木幡観音院に住す。鎌倉無量寿院長老。木幡義の始祖。廻心房。木幡上人。
  • 6心地覚心()<1256->:1256年(康元1年)金剛三昧院長老。
  • 12実融(1247-1339)<1304->:証道流の祖。京都出身。藤原氏。1247年(宝治1年)(1250年(建長2年)とも)生。定円について得度。泉涌寺智鏡、東大寺戒壇院の円照から戒律・密教を学ぶ。また東大寺尊勝院の宗性から華厳を学ぶ。高野山安養院の頼賢から伝法灌頂を受けた。1304年(嘉元2年)金剛三昧院長老。1334年(建武1年)後醍醐天皇から綸旨。足利尊氏の帰依を得た。1339年(延元4年/暦応2年)1月19日(15日とも)、金剛三昧院で死去。静空。証道上人。

資料

  • 「金剛三昧院文書」:『鷲峯余光』[1]。『岸和田市史史料』[2]。『日本の神―神道史学のために』[3]。『八日市市史』[4]。『田原本町史』[5]
  • 「高野山金剛三昧院短册」:1344年(興国5年/康永3年)。『続群書類従』[6]
  • 1939「金剛三昧院の略史と其の文書について」[7]
  • 朝日道雄1939「高野山金剛三昧院多宝塔の諸仏に就て」[8]
  • 辻善之助1941「行勇と金剛三昧院」[9]
  • 青木啓明2000「在田荘の伝領と安達氏・金剛三昧院」[10]
  • 青木啓明2000「澄海の在田荘支配と安達氏・金剛三昧院」[11]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E4%B8%89%E6%98%A7%E9%99%A2」より作成

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