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金原寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2014年8月24日 (日) 時点における版
土御門天皇の菩提寺。天皇は承久の乱に連座して土佐、阿波に流された。寛喜3年(1231)に崩御して、現地で火葬されるが、遺骨は京都に帰還し、当所に埋葬された。母の承明門院により、この陵に金原法華堂(金原御堂)が建立され、のち堂宇管理のために金原寺が設置されたという。しかし、江戸時代には荒廃していた。文久の修陵のときに寺跡の石塚を御堂跡として土御門天皇陵とされた。 近くの地蔵院は金原寺の別院といい、本尊阿弥陀如来像に「本山金原寺当仏」との墨書が残る。 京都府長岡京市。 土御門天皇旧跡