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長講堂

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年11月25日 (金)

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長講堂は、京都府京都市下京区にある寺院。
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==参考文献==
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*山田邦和 2006「後白河天皇陵と法住寺殿」『院政期の内裏・大内裏と院御所』文理閣
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*「長講堂」『古事類苑』[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1874249/223]
[[category:京都府]]
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2022年11月25日 (金) 時点における最新版

長講堂

長講堂(ちょうこうどう)は、京都府京都市下京区本塩竈町にある皇室ゆかりの浄土宗寺院。元は後白河法皇六条西洞院殿に付属した仏堂。西山浄土宗。本来は長講堂は法華長講弥陀三昧堂の略で、法華長講会と念仏三昧をともに行う仏堂の一般名称。

歴史

長講堂(国土地理院空中写真より)

平安京六条の地は源頼義が建立したみのわ堂京都・若宮八幡宮などがあり、源氏が拠点とした地であった。 一方、元々後白河法皇が御所としていた法住寺殿七条殿にも長講堂は1177年(治承1年)4月に既に建てられていた。

法住寺殿が1183年(寿永2年)木曽義仲の焼き討ちで焼失した後、法皇は六条西洞院殿に移り、法住寺殿には戻らなかった。これは法皇が法住寺殿があった平氏の拠点を離れ、源氏勢力の支援を求めたことが背景にあるという。

長講堂は1184年(元暦1年)から1185年(文治1年)ごろに創建された。その直後1188年(文治4年)4月、六条殿の火災で焼失するが同年末に鎌倉幕府の支援で再建された。1191年(建久2年)10月には後白河院領が寄進され、長講堂領が成立した。1208年(承元2年)、1273年(文永10年)、若宮八幡宮とともに焼失と再建を繰り返している。

一方、1191年(建久2年)に再建された法住寺殿七条殿にも長講堂が建立されたが、蓮華王院付属の阿弥陀堂とみなされた。のち土御門殿にも新長講堂が建立された。

参考文献

  • 山田邦和 2006「後白河天皇陵と法住寺殿」『院政期の内裏・大内裏と院御所』文理閣
  • 「長講堂」『古事類苑』[1]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%95%B7%E8%AC%9B%E5%A0%82」より作成

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