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隅田八幡神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2011年4月3日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
隅田八幡宮は、紀伊上陸のときの行在所旧跡にある八幡宮。石清水八幡宮別宮。祭神は、「誉田別尊、足仲彦尊、息長足姫尊、丹生都比売命」である(『神道史大辞典』1105)。応神天皇が武内宿祢に伴われて、紀伊から大和に赴く途中に滞在した行在所とされる場所とされ、欽明天皇の時代、勅によってその行在所跡に神社を創建したとされる。のち石清水八幡宮の別宮として隅田荘の鎮守となる。1105年(長治2年)、長忠延が俗別当となり、以後、隅田氏が世襲した。1560年(永禄3年)、松永久秀の攻略によって社殿焼失したが、慶長年間に再建された。1819年(文政2年)に社殿を焼失。1822年(文政5年)再建されたのが現在の社殿である。神宮寺として大高能寺があったが、神仏分離で分離した。1873年(明治6年)村社に列格し、1916年(大正5年)11月に県社に昇格した。国宝「隅田八幡神社人物画像鏡」を所蔵。(隅田八幡神社ウェブサイト、『全国八幡神社名鑑』111、『神道史大辞典』「府県社一覧」)