ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
青岸渡寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
(?組織) |
|||
8行: | 8行: | ||
===住職=== | ===住職=== | ||
*1悲羅井純孝()<1877->:平井純孝。 | *1悲羅井純孝()<1877->:平井純孝。 | ||
+ | *2阿恵光 | ||
*3中森亮順(1877-)<>:如意輪心院。 | *3中森亮順(1877-)<>:如意輪心院。 | ||
*7高木亮孝(?-1987)<>:1987年死去。 | *7高木亮孝(?-1987)<>:1987年死去。 |
2022年6月10日 (金) 時点における版
青岸渡寺(せいがんとじ)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町(紀伊国牟婁郡)にある熊野信仰・観音信仰の天台宗寺院。本尊は如意輪観音。熊野三山の一つ那智山を代表する寺院。元は熊野那智大社と一体で、明治に分離したが現在も隣接する。西国三十三所観音霊場第1番札所。天台宗延暦寺派特別寺。山号は那智山。
仁徳天皇の時代にインドから渡来した裸形が那智の滝で修行し、滝壺で小さな観音菩薩を感得して草庵を結んで祀ったのが始まり。 推古天皇の時代、大和の生仏という僧侶が一丈の如意輪観音を刻んで、裸形感得の小観音を胸に納め、勅願所となったという。 のち役小角が修行し、最澄、空海、円珍も来訪したと伝える。
組織
住職
- 1悲羅井純孝()<1877->:平井純孝。
- 2阿恵光
- 3中森亮順(1877-)<>:如意輪心院。
- 7高木亮孝(?-1987)<>:1987年死去。
- 高木亮享(1938-2021)<1984-2021>:高木亮孝の子。1938年生。龍谷大学卒。1984年青岸渡寺住職。1987年補陀洛山寺住職を兼務。2021年7月4日死去。82歳。
- 高木亮英()<>:高木亮享の弟。1988年、順峰修行を復興。