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願泉寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
願泉寺(がんせんじ)は大阪府貝塚市にある浄土真宗寺院。貝塚御坊。現在は浄土真宗本願寺派だが、江戸時代まで東西本願寺に両属だった。貝塚寺内町の中心寺院。本願寺遷座旧跡。輪王寺宮の院室「真教院」でもあった。山号は金凉山。
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歴史
『貝塚寺内基立書』によると行基が建てた草庵が起源。 応仁年間には蓮如が滞在したという。
1545年、長年、無住だった草庵に根来寺の右京坊という僧を迎えた。この僧が卜半斎了珍である。 この地域は浄土真宗の信仰の強い地域であると同時に、政治的には根来寺の影響下にあった。そのような背景から根来寺の僧が招かれたと思われる。 1550年に堂宇を再建し、本願寺証如から阿弥陀如来絵像を下付された。 僧侶と門徒の信仰集団は自治的組織と町を形成し、寺内町となった。 1555年には石山本願寺配下の寺内町として認められた。 1577年、本願寺を攻める織田信長軍に焼き討ちされ寺内町もろとも焼失。1580年、石山合戦が集結すると離散した住民が戻り、本堂を復興。これを板屋道場と呼んだ。 1582年、豊臣秀吉から寺内町としての自治権を認められた。 1583年7月4日、本願寺顕如は鷺森御坊から親鸞御影を貝塚に奉遷(『宇野主水日記』)。 以後2年余りにわたり、本願寺として機能し、諸国から門徒らが集まり、寺内町は大きく発展した。 1585年8月30日、親鸞御影は天満に移転した。この時、顕如は貝塚御坊に親鸞絵像を下付し、一家に准じる格式を与えた。 同年11月、水間寺の梵鐘を購入。
1598年、本堂再建。1607年4月、東本願寺教如から聖徳太子絵像と七高僧絵像を、同年12月には西本願寺准如から親鸞絵像と「願泉寺」号を与えられた。
子院
- 泉光寺:真宗大谷派。
- 正福寺:浄土真宗本願寺派。
- 満泉寺:真宗大谷派。
- 要眼寺:浄土真宗本願寺派。
- 真行寺:浄土真宗本願寺派。廃絶か。
寺内町
- 尊光寺:京都・興正寺末だった。現在は浄土真宗本願寺派。
- 上善寺:浄土宗。橋本正高の墓がある。
- 妙泉寺:日蓮宗。
- 宗福寺:天台宗。感田神社別当。廃絶。
- 感田神社:寺内町の鎮守。
関連旧跡
- 和歌山屋敷:和歌山県和歌山市卜半町。鷺森御坊参拝の時に滞在した屋敷。
組織
歴代住職
中興以来、卜半斎家(卜半家)が世襲。幕末まで自治権を認められた貝塚寺内町の地頭(領主)を務めた。
- 1了珍():京都出身。元は根来寺の僧侶。
- 2了閑
- 3
- 4了周
- 5
- 6了友