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根来寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年2月15日 (木)

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根来寺(ねごろじ)は、和歌山県岩出市にある真言宗本山寺院。本尊は大日如来新義真言宗総本山。覚鑁高野山に創建した大伝法院が起源。覚鑁は晩年、根来の豊福寺に入ったが、後年ここに高野山を追放された頼瑜が大伝法院を移した。修験道当山派正大先達の一つ。豊臣秀吉の根来攻めで焼失。この後、京都に移った智積院と、長谷寺に移った小池坊は元来は根来寺の学頭寺院だった。江戸時代、智豊両山の末寺とされ、蓮華院と律乗院の両学頭があった。戦後、智豊両派から独立して一派を立てた。本堂伝法堂や根本大塔の他、覚鑁が眠る奥之院や荼毘所菩提院がある。鎮守は九社明神と三部権現。山号は一乗山。根来寺関連旧跡も参照。

目次

歴史

  • 1130年(大治5年):覚鑁鳥羽上皇の帰依を受け高野山に伝法院を開く。
  • 1131年(天承1年):大伝法院と改称。
  • 1131年(天承1年)10月17日:鳥羽上皇御幸して落慶
  • 1134年(長承3年):この時点で200人規模の組織が整えられている
  • 1134年(長承3年)6月:高野山住僧らが、金剛峰寺と大伝法院の衆徒が一列交座することの停止と金剛峰寺座主と大伝法院座主の兼務の停止を東寺長者に訴えた。以後、抗争が続く。
  • 1139年(保延5年)12月:金剛峰寺衆徒が蜂起して大伝法院を襲撃。
  • 1140年(保延6年):覚鑁、大伝法院末寺の根来の豊福寺に移る
  • 1143年(康治2年)2月17日:覚鑁、根来に円明寺神宮寺を創建。
  • 1143年(康治2年)12月12日:覚鑁死去。
  • 1168年(仁安3年):裳切騒動
  • 寛元年間:金剛峰寺衆徒が大伝法院に放火
  • 1286年(弘安9年):頼瑜、大伝法院学頭に就任。
  • 1288年(正応1年):頼瑜、大伝法院と密厳院を根来に移転させる。
  • 1304年(嘉元2年)1月1日:頼瑜死去。
  • 1336年(延元1年/建武3年)12月17日:足利尊氏から寺領・当知行の安堵
  • 1337年(延元2年/建武4年):和泉信達荘が寄進される。
  • 1350年(正平5年/観応1年)10月26日:光厳上皇院宣で大伝法院座主は三宝院門跡の兼務とされる。
  • 1368年(正平23年/応安1年):三宝院光済が座主に就任
  • 1387年(元中4年/嘉慶1年):9月:本尊の造立を始める。
  • 1391年(元中8年/明徳2年):空海像を開眼。
  • 1404年(応永11年)4月:本尊を開眼。大伝法堂も同じころに造営されたとみられる。
  • 1429年(永享1年):根本大塔の建立を計画。
  • 1460年(寛正1年):根来衆が守護畠山義就軍と戦い大勝した。
  • 1480年(文明12年):根本大塔、造営開始。
  • この頃:十輪院道瑜が学頭として活躍。初めて「能化」と呼ばれたという。
  • この頃:道瑜の弟子の頼誉(小池坊初代)も活躍して学頭として並立し、二人併せて「両能化」と呼ばれたという。
  • 1542年(天文11年):覚鑁400回忌にあたり、覚鑁に「自惟大師」号を宣下。しかし延暦寺の抗議で取り消された。
  • 1547年(天文16年):根本大塔、竣工
  • 1570年(元亀1年):三好三人衆が挙兵したのに対し根来衆は雑賀衆と共に織田信長軍に加わった。
  • 1577年(天正5年):織田信長の雑賀攻めに協力。
  • 1584年(天正12年)8月:学頭が再び分裂。専誉と玄宥が並び立つ。
  • 1585年(天正13年)3月:豊臣秀吉の根来攻めで伽藍焼失。
  • 1585年(天正13年)4月9日:焼け残った大伝法堂も解体され、大徳寺総見院に寄進されることになった。本尊も持ち去られた。
  • 1588年(天正16年):小池坊専誉、大和長谷寺に小池坊を復興。
  • 1600年(慶長5年)10月:徳川家康、根来寺復興を許可。
  • 1601年(慶長6年):智積院玄宥、京都河原町仏光寺の法国寺跡に智積院を復興。
  • 1609年(慶長14年):持ち去られていた本尊が返還される。
  • 1615年(元和1年):智積院が祥雲寺跡の現在地に移転。
  • 1619年(元和5年):徳川頼宣が和歌山藩主となる。
  • 1690年(元禄3年):護持院隆光の周旋で覚鑁に興教大師号宣下。
  • 1707年(宝永4年)2月:護持院隆光、根来寺伽藍修造を願い出て許可される。
  • 1752年(宝暦2年):両学頭制を復興。蓮花院律乗院が両学頭と定められた。
  • 一派本山として認められる
  • 1779年(安永8年):法住が入寺。以後、伽藍復興が本格化。徳川重倫とその生母清信院の帰依を得た。
  • 1800年(寛政12年):法住死去。法恕が継承。和歌山城吹上御所を移築。
  • 1804年(文化1年):常光明真言殿、落慶
  • 1821年(文政4年):大伝法堂の造営開始。
  • 1827年(文政10年)10月1日:大伝法堂落慶、本尊開眼法要。3日まで。
  • 1852年(嘉永5年):大門再建
  • 1886年(明治19年)2月20日、別格本山とされ、座主は智積院長谷寺が2年ごとに交代する
  • 1896年(明治29年)12月7日、別格本山から大本山に昇格。
  • 1944年(昭和19年)2月27日、十本山住職会を東寺で開催。根来寺の総本山昇格は見送られる
  • 1946年(昭和21年)5月、東京真福寺で根来寺評議員会が開かれ、根来寺側は宗派独立の意向を伝えるが、智積院と長谷寺は拒否する。
  • 1947年(昭和22年)1月27日、従来、智山派豊山派の両属だったが独立。川崎弁龍が初代管長に就任する。
  • 3月8日、豊山派宗会で、根来寺独立取消のため智山派と協力する努力を行うことを決議する。
  • 3月30日、豊山派の議員が開催中の智山派宗会を訪問し、根来寺への申し入れを決める。
  • 4月4日、豊山派、全国支所長会議で根来寺独立反対の決議を行う。
  • 12月10日、智山派と豊山派が調査委員を派遣。意見の一致をみず。
  • 1948年(昭和23年)10月1日、豊山派を脱退した中村教信などが新義真言宗を樹立。
  • 1949年(昭和24年)6月28日、廟前で新義真言宗結成奉告法要。
  • 8月5日、川崎弁龍が辞表提出したことについて真福寺で協議。荒谷実乗事務長、真福寺寺務所で豊山派から新義真言宗に加わった中村教信と会見。新義真言宗法務所を真福寺寺務所内に設置。
  • 1950年(昭和25年)2月3日、川崎弁龍の留任が決定。荒谷が代務者就任。
  • 1972年(昭和47年)4月4日、400年ぶりに伝法大会

組織

住職

  • 賢俊:
  • 義演:
  • 専誉:長谷寺化主1世
  • 法住:長谷寺化主32世。中興1世。
  • 法恕:中興2世。
  • 興雅:中興3世。
  • 栄性:中興4世。

住職2

任期4年。現在は新義真言宗管長を兼ねる。

根来寺大伝法院の座主一覧(近代)
世数 生没年 在職年 略歴
守野秀善 1812-1886 1886- 長谷寺化主。1886年(明治19年)3月20日、根来寺座主。
松平実因 1820-1889 1887- 智積院化主。1887年(明治20年)5月5日、根来寺座主。
楞厳院秀盛 1816-1890 1889- 長谷寺化主。1889年(明治22年)7月10日、根来寺座主。
金剛宥性 1821-1895 1890- 智積院化主。1890年(明治23年)9月30日、根来寺座主。
高志大了 1834-1898 1893- 長谷寺化主。1893年(明治26年)6月16日、根来寺座主。
佐伯隆基 1831-1897 1895- 智積院化主。1895年(明治28年)1月15日、根来寺座主。
上野相憲 1832-1898 1896- 長谷寺化主。1896年(明治29年)10月、根来寺座主。
三神快運 1836-1905 1898- 智積院化主。1898年(明治31年)3月3日、根来寺座主。
慶雲海量 1833-1900 1899- 長谷寺化主・豊山派管長。1899年(明治32年)4月14日、根来寺座主。
瑜伽教如 1847-1928 1901- 智積院化主・智山派管長。1901年(明治34年)4月1日、根来寺座主。
権田雷斧 1846-1934 1903- 長谷寺化主・豊山派管長。1903年(明治36年)4月1日、根来寺座主。
瑜伽教如 1847-1928 1905- 智積院化主・智山派管長。1905年(明治38年)3月1日、根来寺座主。
正城全鏡 1835-1915 1907- 長谷寺化主・豊山派管長。1907年(明治40年)3月1日(1908年(明治41年)とも)、根来寺座主。
正城全鏡 1835-1915 1910- 長谷寺化主・豊山派管長。1910年(明治43年)2月10日、根来寺座主。
伊藤宗盛 1844-1919 1910- 智積院化主・智山派管長。1910年(明治43年)12月10日、根来寺座主。
岩堀智道 1861- 1912- 長谷寺化主・豊山派管長。1912年(大正1年)12月10日、根来寺座主。
伊藤宗盛 1844-1919 1914- 智積院化主・智山派管長。1914年(大正3年)12月10日、根来寺座主。
早川快亮 1849-1923 1916- 長谷寺化主・豊山派管長。1916年(大正5年)12月10日、根来寺座主。
大江存良 1852-1928 1918- 智積院化主・智山派管長。1918年(大正7年)12月10日、根来寺座主。
広瀬賢信 1852- 1921- 長谷寺化主・豊山派管長。1921年(大正10年)12月8日、根来寺座主。
武藤範秀 1866-1942 1924- 智積院化主・智山派管長。1924年(大正13年)4月2日、根来寺座主。
滝承天 1853-1941 ?-1926 智積院化主・智山派管長。1926年(昭和1年)4月2日退任。
加藤精神 1872-1956 1926- 長谷寺化主・豊山派管長。1926年(昭和1年)4月2日、根来寺座主。
青木栄豊 1857-1936 1928- 智積院化主・智山派管長。1928年(昭和3年)4月2日、根来寺座主。
旭純栄 1864-1948 1929- 智積院化主・智山派管長。1929年(昭和4年)10月22日、根来寺座主。
加藤精神 1872-1956 1930- 長谷寺化主・豊山派管長。1930年(昭和5年)4月2日、根来寺座主。
湯沢龍岳 1930- 豊山派管長。1930年(昭和5年)8月21日、根来寺座主。
旭純栄 1864-1948 1931- 智積院化主・智山派管長。1931年(昭和6年)12月22日、根来寺座主。
富田教純 1875-1955 豊山派管長。教は異体字
杉本亮誉 ?-1944 1936- 豊山派管長。1936年(昭和11年)2月15日、根来寺座主。
旭純栄 1864-1948 1936- 智積院化主・智山派管長。1936年(昭和11年)4月2日、根来寺座主。
斎藤隆現 1868-1947 智積院化主・智山派管長。
杉本亮誉 ?-1944 1938- 豊山派管長。1938年(昭和13年)4月2日、根来寺座主。
平岡全教 1939- 長谷寺化主・豊山派管長。1939年(昭和14年)5月8日、根来寺座主。
斎藤隆現 1868-1947 1940- 智積院化主・智山派管長。1940年(昭和15年)4月2日、根来寺座主。
関澄道 1942- 自坊は東京燈明寺。1942年(昭和17年)5月7日、根来寺座主。
川崎弁龍 ?-1952 1944-1952 自坊は六波羅蜜寺。1944年(昭和19年)2月9日、根来寺座主に選出。4月2日晋山式。1952年(昭和27年)8月7日死去。87歳。
荒谷実乗 ?-1960 自坊は瀧谷不動尊。1960年(昭和35年)12月13日辞任。
中村教信 ?-1961 ?-1961 1961年(昭和36年)4月5日死去。
中島栄知 1961-? 自坊は長野前山寺。1961年(昭和36年)5月10日、根来寺座主。1963年(昭和38年)2月18日、智山派菩提院結衆を辞任。
広沢栄孝 ?-1980 1965-? 自坊は上品寺。1965年(昭和40年)5月11日、根来寺座主。1980年(昭和55年)死去。
関尚道 1973-? 自坊は東京燈明寺。1973年(昭和48年)10月12日、根来寺座主晋山式。
加藤太信 1977-? 1977年(昭和52年)6月16日、根来寺座主。
関尚道
広沢純孝
星慶岳 自坊は深谷大円寺。
稲葉信隆 自坊は山形延徳寺。
別府精宏 自坊は山形泉福寺。
赤塚明信 ?-2015 2007- 自坊は江戸川区正円寺。2007年(平成19年)根来寺座主。2015年(平成27年)3月死去。
関根真教 2009-2017 自坊は足立区常善院。2009年(平成21年)根来寺座主。
中村元信 2017-2025予定 自坊は宝蔵院。1997年(平成9年)から2010年(平成22年)まで宗務総長。2002年(平成14年)寺務長。2017年(平成29年)根来寺座主。

寺務長

  • 田村海寂()<>:
  • 加藤正信()<2000->:
  • 中村元信()<2002->:
  • 四柳隆澄()<>:

画像

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