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龍門寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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宇多上皇も昌泰元年(898)に宮滝行幸の途中に参拝 | 宇多上皇も昌泰元年(898)に宮滝行幸の途中に参拝 | ||
藤原道長も治安3年(1023)に高野山参詣の途中に訪れている。 | 藤原道長も治安3年(1023)に高野山参詣の途中に訪れている。 | ||
+ | 中世、[[興福寺一乗院]]の末寺となる。 | ||
遺構や出土物から室町時代ごろに廃絶したとみられている。 | 遺構や出土物から室町時代ごろに廃絶したとみられている。 | ||
塔の礎石が残る。 | 塔の礎石が残る。 | ||
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+ | 龍門の滝付近にあった龍王社は、近隣の[[吉野山口神社]]境内に意賀美神社として遷座。 | ||
周辺の菅生寺、仏師院、龍華台院などは龍門寺塔頭の後身という。 | 周辺の菅生寺、仏師院、龍華台院などは龍門寺塔頭の後身という。 |
2017年9月10日 (日) 時点における版
龍門寺(りゅうもんじ)は、大和国吉野郡にあった古代寺院。義淵が創建したという。菅生寺は子院の後身という。(参考:同名寺院龍門寺_(同名))
歴史
義淵が龍蓋寺など共に創建したといわれるが、はっきりとした記録はない。 調査では奈良時代前期に建てられた伽藍跡が見つかっている。 龍門の滝で修行した山岳修行者が創建したともいう。 元慶4年、清和上皇が吉野巡拝した時に龍門寺も参拝(『三代実録』)。 宇多上皇も昌泰元年(898)に宮滝行幸の途中に参拝 藤原道長も治安3年(1023)に高野山参詣の途中に訪れている。 中世、興福寺一乗院の末寺となる。 遺構や出土物から室町時代ごろに廃絶したとみられている。 塔の礎石が残る。
龍門の滝付近にあった龍王社は、近隣の吉野山口神社境内に意賀美神社として遷座。
周辺の菅生寺、仏師院、龍華台院などは龍門寺塔頭の後身という。
(日本歴史地名大系)