ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
龍門寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年9月10日 (日)
(版間での差分)
(間の5版分が非表示) | |||
1行: | 1行: | ||
- | '''龍門寺''' | + | '''龍門寺'''(りゅうもんじ)は、大和国吉野郡(奈良県吉野郡吉野町)の[[吉野]]にあった[[古代寺院]]。[[義淵]]が創建したという。龍門岳南面の龍門の滝近くにある。[[菅生寺]]は子院の後身という。(参考:同名寺院[[龍門寺_(同名)]]) |
+ | |||
+ | ==歴史== | ||
+ | 義淵が龍蓋寺など共に創建したといわれるが、はっきりとした記録はない。 | ||
+ | 調査では奈良時代前期に建てられた伽藍跡が見つかっている。 | ||
+ | 龍門の滝で修行した久米仙人らが創建したともいう。 | ||
+ | 元慶4年、清和上皇が吉野巡拝した時に龍門寺も参拝(『三代実録』)。 | ||
+ | 宇多上皇も昌泰元年(898)に宮滝行幸の途中に参拝 | ||
+ | 藤原道長も治安3年(1023)に高野山参詣の途中に訪れている。 | ||
+ | 中世、[[興福寺一乗院]]の末寺となる。 | ||
+ | 遺構や出土物から室町時代ごろに廃絶したとみられている。 | ||
+ | 塔の礎石が残る。 | ||
+ | |||
+ | 龍門の滝付近にあった龍王社は、近隣の[[吉野山口神社]]境内に意賀美神社として遷座。 | ||
+ | 滝付近には久米仙人窟もあった。 | ||
+ | |||
+ | 周辺の菅生寺、仏師院、西蓮寺などは龍門寺塔頭の後身という。 | ||
+ | 菅生寺には義淵の墓がある。 | ||
+ | |||
+ | (日本歴史地名大系) | ||
[[category:奈良県]] | [[category:奈良県]] |
2017年9月10日 (日) 時点における最新版
龍門寺(りゅうもんじ)は、大和国吉野郡(奈良県吉野郡吉野町)の吉野にあった古代寺院。義淵が創建したという。龍門岳南面の龍門の滝近くにある。菅生寺は子院の後身という。(参考:同名寺院龍門寺_(同名))
歴史
義淵が龍蓋寺など共に創建したといわれるが、はっきりとした記録はない。 調査では奈良時代前期に建てられた伽藍跡が見つかっている。 龍門の滝で修行した久米仙人らが創建したともいう。 元慶4年、清和上皇が吉野巡拝した時に龍門寺も参拝(『三代実録』)。 宇多上皇も昌泰元年(898)に宮滝行幸の途中に参拝 藤原道長も治安3年(1023)に高野山参詣の途中に訪れている。 中世、興福寺一乗院の末寺となる。 遺構や出土物から室町時代ごろに廃絶したとみられている。 塔の礎石が残る。
龍門の滝付近にあった龍王社は、近隣の吉野山口神社境内に意賀美神社として遷座。 滝付近には久米仙人窟もあった。
周辺の菅生寺、仏師院、西蓮寺などは龍門寺塔頭の後身という。 菅生寺には義淵の墓がある。
(日本歴史地名大系)