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寧波・荊公祠
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年12月14日 (日)
荊公祠は浙江省寧波市海曙区の鼓楼から府橋街一帯にあったとみられる王安石の祠廟。宋代の明州城(後の寧波城)内に置かれた、明州鄞県の県治役所の一画にあった。 王安石(1021-1086)は北宋の政治家。唐宋八大家の一人とされる。官僚・文人。儒学者。首席宰相。新法改革を行う。荊公新学を唱えた。
『宝慶四明志 (四庫全書本)』[1]によると、「元祐年間、郡県を治める長官が、かつてこの地の県令であった王安石が宰相に昇ったことを記念して、経綸閣の下に祠を建てた。建炎4年(1130年)、戦火によって焼失した。紹興25年(1155年)、県令の王〓が再建し、左朝散郎・台州崇道観主管の徐度がその記を作った。乾道4年(1168年)、県令の楊布が王荊公祠を閣の上に移したが、のちに祠と閣はいずれも廃絶した。淳熙4年(1177年)、県令の姚祐が宅堂〔県令の居所〕の北に移して再建した。紹熙5年(1194年)、県令の呉泰初がこれを再建した。嘉定17年(1224年)、県令の張公弼がさらに荊公祠を再建し、閣の北側西寄りに移した」とある。