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美濃・願証寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年11月30日 (土)
願証寺(がんしょうじ)は、岐阜県不破郡垂井町平尾(美濃国不破郡)にある浄土真宗寺院。東本願寺の御坊寺院だった。伊勢長島願証寺の名を継ぐ願証寺関連旧跡。浄土真宗東本願寺派。境内周辺は美濃国分尼寺跡地と推定されている。旧称は真徳寺。平尾御坊。願証寺蓮如廟がある。(参考:同名寺院真徳寺)
目次 |
歴史
美濃国安八郡三塚(岐阜県大垣市三塚町)の真徳寺は本願寺の東西分立とともに東西に別れ、従来の寺院が西本願寺末になると、栄寿が東本願寺末として新たに不破郡平尾に同名の真徳寺を創建した。1743年(寛保3年)、平尾御坊とされた。1773年(安永2年)、東本願寺は願証寺の名を与えた。長島願証寺を継ぐ寺院の多くが他派になっていたためか。大垣に支院があったが、1852年(嘉永5年)独立して開闡寺と称し、のち大垣別院となった。
- 1970年(昭和45年):<開申事件>
- 1978年(昭和53年):<東本願寺、真宗大谷派から離脱を宣言>
- 1979年(昭和54年):平尾御坊願証寺、真宗大谷派から離脱。
- 1981年(昭和56年)6月:<東京本願寺、真宗大谷派から離脱>
- 1987年(昭和62年):<京都東本願寺が解体されて真宗大谷派に吸収>
- 1988年(昭和63年):東京本願寺、「東本願寺」と改称。願証寺は東京の東本願寺を本山として仰ぎ、浄土真宗東本願寺派に所属。
組織
真宗年表より
真徳寺歴代住職
- 1証栄(?-1575)<>:幸俊。願証寺2世実恵の次男。1575年(天正3年)9月30日死去。
- 2顕栄(?-1574)<>:1574年(天正2年)8月14日死去。
- 3栄寿(?-1615)<>:兼祐。大垣御坊1世。1615年(元和1年)3月15日死去。
- 4宣勝(?-1635)<>:幸永。大垣御坊2世。1635年(寛永12年)7月23日死去。
- 5宣栄(?-1669)<>:兼永。大垣御坊3世。1669年(寛文9年)10月27日死去。
- 6常栄(?-1717)<>:智幸。大垣御坊4世。1717年(享保2年)9月14日死去。
- 7一栄(?-1728)<>:兼良。大垣御坊5世。1728年(享保13年)10月18日死去。
- 8真栄(?-1774)<>:幸淳。大垣御坊6世。1774年(安永3年)1月30日死去。
- 9真高(1736-1788)<>:願証寺6世とみなされている。
願証寺歴代住職
- 6真高(1736-1788)<>:性栄。船場本徳寺13世。真徳寺9世。大垣御坊7世。城端善徳寺12世真源の子。1773年(安永2年)願証寺と改称。願証寺6世とみなされている。1784年(天明4年)連枝となり、本徳寺住職となる。1788年(天明8年)5月20日死去。53歳。常護院と号す。
- 7乗道(?-1808)<>:遍尊。大垣御坊8世。真宗寺超尊の子。1808年(文化5年)10月19日死去。広宣院。
- 8達悟(?-1862)<>:朗保。大垣御坊9世。1860年(万延1年)12月29日、法橋の勅許[1]。1861年(文久1年)1月23日、権少僧都の勅許[2]。1862年(文久2年)11月1日死去。慧力院。
- 9達栄(?-1874)<>:長島朗淳。大垣御坊10世。1874年(明治7年)2月25日死去。顔容院。
- 10達堯(?-1887)<>:長島朗高。大垣御坊11世。1887年(明治20年)3月18日死去。真容院。
- 11厳幸(?-1925)<>:長島勝栄。1925年(大正14年)1月30日死去。欣浄院。
- 12彰栄()<>:長島演周。欣正院。
- 13闡意()<>:慧證院。
- 14闡寿()<>:長島暢高。長嶋暢高。