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茨城県護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年7月27日 (日)

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拝殿

茨城県護国神社(いばらきけん・ごこくじんじゃ)は、茨城県水戸市中心部の偕楽園内にある、県内の戦没者などを祀る招魂社。安政の大獄や天狗党の乱などの殉難者を祀る社に始まる。元は常磐神社の境内社で、現在の東湖神社の場所にあった。官祭招魂社にはならなかった。内務大臣指定護国神社神社本庁別表神社。旧称は鎮霊社鎮霊社護国神社。占領期中の名称は桜山神社。近くに丸山淵明堂跡がある。 市内には回天神社水戸殉難志士墓地水戸陸軍墓地がある。

目次

歴史

官祭招魂社にならなかった理由は不明だが、戊辰戦争との関わりが弱く創建が遅いこと、維新政府内での水戸藩閥の存在感が弱いこと、天狗党の評価の問題(越前・松原神社も無格社のままだった)などが考えられる。

  • 1870年2月3日:<藩主、常磐共有墓地の東南の一画に榊原新左衛門ら数百人を改葬し「殉難」碑を建立。水戸殉難志士墓地
  • 1874年(明治7年)5月12日:<常磐神社、現在地に社殿を造営し鎮座>
  • 1875年11/23:旧水戸藩士族、常磐神社境内に、安島帯刀や他藩出身者も含む天狗党殉難者を祀る社の創建を請願を茨城県庁を通じて国に提出[1]。水戸では杉浦政格と川瀬済が中心に、東京では鈴木が中心になった。
  • 1876年11/29:<鎮霊社に松平頼徳を合祀?[2]
  • 1877年(明治10年)1月25日:社殿造営?(『靖国神社百年史』。『常磐神社略史』でも1877年(明治10年)中に末社としての許可を受け社殿を造営したように読める記述がある)。1877/12/27創建とも[3]。『水戸藩の話・紀州領の話』ではこの年を許可が降りた年とする[4]
  • 1878年(明治11年)2月9日:創建。「鎮霊社」と称す。(『靖国神社百年史』。『常磐神社略史』にはこの日、合祀の祭典を行ったとある)
  • 1879年6月1日:「鎮祭式」『水戸提要便覧』[5]。社殿造営経費2000円あまり。このあたりの事実関係は不詳。
  • 1889年5/5:<靖国神社に水戸藩安島帯刀以下1390柱、宍戸藩松平頼徳以下63柱、松川藩中村修之助以下7柱を合祀[6]
  • 1890年(明治23年)10月27日:明治天皇、水戸行幸にあたり祭粢料100円奉納。(『常磐神社略史』)
  • 1895/12/18:<水戸徳川家、好文亭で日清戦争戦没者の招魂祭[7]
  • 1899/12/10:日清戦争戦没者を合祀。記念碑建立。[8]
  • 1909年5/12:<水戸衛戍地の招魂祭、5/5から5/12に変更。常磐神社例祭日に合わせる[9]
  • 1910年(明治43年):例祭を5月13日から5月12日に変更(『常磐神社略史』)
  • 1910年(明治43年)5月12日:64柱を合祀[10]
  • 1915年(大正4年):例祭を靖国神社の春の例祭に合わせて4月30日に変更。(『常磐神社略史』)
  • 1920/6/24:<尼港事件臨時招魂祭を常磐公園で斎行。元帥、陸軍大臣、参謀総長出席。[11]
  • 1931/4/20:水戸一洗会が桜田列士祭を斎行[12][13]
  • 1933/6/27:「招魂社」への昇格運動[14]
  • 1934/8/6:茨城招魂社造営の募金協議会を県参事会室で開催。9万5000円募金計画。[15]
  • 1939年4/1:「鎮霊社護国神社」と改称[16]
  • 1939/10/9:内務省から移転独立許可。内務厚生時報[17]
  • 1941年(昭和16年)10月29日:内務大臣指定の「茨城県護国神社」となる。(『靖国神社百年史』)
  • 1941年(昭和16年)11月6日:現在地に遷座。(『靖国神社百年史』)
  • 1942/4/10:初の春季例祭[18]
  • 1944/11/5:440柱を合祀[19]
  • 1947年(昭和22年)8月1日:「桜山神社」に改称。(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1952/4/9:戦後初の合祀。3333柱を合祀[20]
  • 1952年(昭和27年)6月23日:払い下げ(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1954年(昭和29年)10月1日:「茨城県護国神社」に復称。(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1960年(昭和35年)11月25日:合祀概了奉告祭(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1963年3月:水戸陸軍墓地内の納骨施設「戦没者留魂の処」から戦没者の遺骨7700柱あまりを護国神社境内に移し、「顕勲の塔」を建立。
  • 1964年(昭和39年)4月30日:遷座20周年記念事業 屋根葺き替え銅板(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1965年(昭和40年)3月10日:竣工奉告祭(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1965年(昭和40年)11月10日:終戦20周年祭(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1966年(昭和41年)7月1日:別表神社加列(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1969年10月14日:<回天神社創建>
  • 1977/11/20:水戸213連隊慰霊碑建立[21]
  • 1984年6月:水戸陸軍墓地内に残されていた「戦没者留魂の処」碑や灯籠を境内の「顕勲の塔」の脇に移転。
  • 1986年10月:大東亜戦争記念碑建立[22]
  • 2003年(平成15年)10月24日:「茨城県護国神社崇敬会」設立(神社ウェブサイト)
  • 2005年(平成17年)6月4日:幣帛料奉納。県下行幸により。(神社ウェブサイト)
  • 2005年(平成17年)6月12日:奉幣臨時大祭。(神社ウェブサイト)
  • 2005年(平成17年)10月24日:「終戦60周年記念臨時大祭」。幣帛料奉納(神社ウェブサイト)

祭神

  • 2250柱:1878年創建時。うち戊辰戦争まで1854柱。西南戦争関係者396柱。1993『水戸市史 下巻 1』「鎮霊社の創建」[23]。1959『水戸藩の話・紀州領の話 』「水戸の鎮霊社」[24]には創建時1854柱とあるが、戊辰戦争までの祭神か。
  • 日清戦争260柱[25]
  • 日露戦争1933柱[26]
  • 4232柱:1929年。1931『昭和四年陸軍特別大演習並地方行幸水戸市記録』[27]
  • 5021柱:1933年5月現在。1933『国史教育の新思潮と実際経営』[28]
  • 9柱合祀:1932/4/29[29]
  • 4933柱:1930常磐神社迎鑾誌[30]。1941『水戸遊記』[31]
  • 5456柱:1939/10/9現在。内務厚生時報[32]
  • 6036柱:1940『茨城県神社誌』[33]
  • 6036柱:1941年11月6日護国神社に遷座。1995『水戸市史 下巻 2』「護国神社の創建」[34]。1991『水戸市近現代年表』[35]では4206柱とする。
  • 6万2488柱:1970/4/9現在[36]
  • 6万3689柱:1984『靖国神社百年史 資料篇 下』[37]

鎮霊社時代の祭神

1893『水戸提要便覧』「鎮霊社」[38]に一部掲載

組織

社司・宮司

  • 河島勲()<-1942->:常磐神社宮司。
  • 皆川泰()<>:
  • 佐藤昭典()<2002-2020>:
  • 飯塚重()<2020->:大洗磯前神社宮司。2020年(令和2年)2月5日、茨城県護国神社宮司を兼務。

画像

資料

史料

  • 「護国神社明細帳」:国文学研究資料館史料館本が現存。
  • 「今般鎮霊社設立に付き記文并に願書下案のこと(嘉永癸丑以来の殉難者)」:1876年10月2日。荷見泰男家文書。茨城県立歴史館所蔵。
  • 1885『茨城常盤公園攬勝図誌』:絵図[39]
  • 「鎮霊社祭祀人名簿」:茨城県護国神社所蔵。挿絵写真[40]名簿一部(『戦争と民衆の社会史 : 今度此度国の為め 大河ドキュメント』[41]。解題[42]
  • 1930『常磐神社迎鑾誌』:境内図[43]
  • 「茨城県鎮霊社祭神録」:1936/4/29現在。1936『皇国勇士名鑑』[44]。1936『武勲名鑑』[45]
  • 『茨城県関係「いはらき」新聞記事表題索引目録 : 政治・社会の部 4 (史料目録 ; 27)』[46]:合祀表題あり
  • 造営時の平面図:『神社造営よりみた日本植民地の環境変容に関する研究 : 朝鮮を事例として』[47]

文献

  • 1984『靖国神社百年史 資料篇 下』[48]
  • 1893『水戸提要便覧』「鎮霊社」[49]
  • 1935『水戸史談会記録 第4輯』[50]:祭神の重複問題について議論
  • 『水戸義軍と信濃路』「和田嶺の戰死者」[51]:祭神について一部記述
  • 1926『東茨城郡誌』「招魂祭」[52]
  • 1959『水戸藩の話・紀州領の話 』「水戸の鎮霊社」[53]:創建の過程を紹介。
  • 1993『水戸市史 下巻 1』「鎮霊社の創建」[54]:古写真あり。
  • 1993『水戸市史 下巻 1』「戦死戦病死者」[55]
  • 1995『水戸市史 下巻 2』「護国神社の創建」[56]
  • 1972『茨城県終戦処理史』[57]
  • 1973『茨城県神社誌』「茨城県護国神社」[58]
  • 1924『常磐神社略誌』「末社鎮霊社」[59]
  • 『自警』「警視隊の墓所を訪ねて」[60]:西南戦争警察祭神51柱で37柱が靖国神社祭神。
  • 但野正弘1996「〔いしぶみ紹介〕・茨城県護国神社境内「征清記念碑と北征記功碑」」『水戸史学45』
  • 2004『増補再販ほまれ』「水戸鎮霊社創建の大功労者」「回天神社合祀申請書控」

関連資料

  • 『水戸藩勤王志士殉難余光』[61]:古河市
  • 『水戸藩死事録・義烈伝纂稿』[62]
  • 『幕末維新全殉難者名鑑1』「天狗党」[63]
  • 『幕末維新全殉難者名鑑3』「戊辰戦争・水戸藩」[64]
https://shinden.boo.jp/wiki/%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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