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伊勢神宮関連旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2025年5月9日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
| 伊勢神宮関連旧跡 |
目次 |
概要
伊勢神宮
祭場
- 『神宮便覧』では「祓所及行事所」としていくつか列挙されている[1]。
| 場所 | 名称 | 概要 |
|---|---|---|
| 内宮 | 第一鳥居内祓所 | 第一鳥居の奥の右側にある。大祓、重要な祭典の修祓、遥拝式を行う。 |
| 内宮 | 忌火屋殿前祓所 | 忌火屋殿の前にある。諸祭典の修祓を行う。 |
| 内宮 | 御手洗場 | 五十鈴川の河原。1692年(元禄5年)、桂昌院が石敷を寄進。 |
| 内宮 | 川原祓所 | 瀧祭神の奥にある。五十鈴川沿い。式年遷宮で遷御の前日に御装束神宝や神職の修祓を行う。 |
| 内宮 | 神楽殿 | 銅板葺入母屋造。1978年(昭和53年)12月22日開殿。神楽殿、御饌殿、神札授与所が並ぶ。御神楽を奉納できる。龍虎石や赤玉石と呼ばれる名石がある。 |
| 内宮 | 五丈殿 | 神楽殿のすぐ東に隣接する。摂末社の遥祀祭典、式年遷宮饗膳、雨天時の大祓・修祓・遥拝式などを行う。かつては五丈殿のほか九丈殿、四丈殿があり、あわせて直会殿と呼ばれた。 |
| 内宮 | 玉串行事所 | 内宮正宮の石階の近くの参道両側にある。石壺がある。式年遷宮の遷御や奉幣で、勅使や神職らが玉串を供える際、正宮に入る前にここで太玉串を受け取る。 |
| 内宮 | 御贄調舎 | 内宮正宮の石階下にある。豊受大神の神座となる石畳がある。鰒に忌刀で刻みを入れ塩を加える神事が行われる。 |
| 内宮 | 四丈殿 | |
| 内宮 | 丸山祭場 | 毎年の大麻用材伐始祭を行う祭場。宇治橋の西の山上の森の中にある。 |
| 内宮 | 山口祭場 | 神宮司庁庁舎の裏側にある。式年遷宮の山口祭を行う祭場。山口祭場は外宮にもある。 |
| 内宮 | 外幣殿 | 正宮板垣外の西北にある。一時保管する |
| 内宮 | 忌火屋殿 | 正宮の西にある。忌火を起こし、神饌を調進する。 |
| 内宮 | 荒祭宮遥拝所 | |
| 内宮 | 外宮遥拝所 | |
| 内宮 | 宮山祭場 | 風日祈宮の近くにある。式年遷宮御船代祭の祭場。 |
| 外宮 | 祓所 | 第一鳥居の奥の左手にある。奉幣祭の時の修祓を行う。 |
| 外宮 | 神楽殿 | 神楽殿と神札授与所がある。平成12年12月14日に開殿。御神楽を奉納できる。 |
| 外宮 | 九丈殿 | 摂末社所管社の遥祀祭典を行う。 |
| 外宮 | 五丈殿 | 雨天時の修祓、式年遷宮饗膳などを行う。 |
| 外宮 | 大庭 | 九丈殿と五丈殿の前庭。かつては玉串行事が行われた。今も式年遷宮の玉串行事はこの場所で行う。式年遷宮の幣帛読合もここで行う。「一本榊」(廻榊)と呼ばれる榊が立ち、祭典を終えた神職が冠に付けた木綿(ゆう)を外してこの榊に掛けたという。 |
| 外宮 | 四丈殿 | 正宮外玉垣内にある |
| 外宮 | 御饌殿 | 正宮板垣内の東北にある。外宮にのみある。内宮正宮、外宮正宮、内宮相殿神、外宮相殿神、内宮別宮、外宮別宮の神座があり、毎日「日別朝夕大御饌祭」が行われている。 |
| 外宮 | 外幣殿 | 正宮板垣内の西北にある。幣帛殿とも呼ばれた。 |
| 外宮 | 忌火屋殿 | 正宮の北、参道沿いにある。忌火を起こし、神饌を調進する。日別朝夕大御饌祭の神饌もここで調進する。 |
| 外宮 | 忌火屋殿前祓所 | |
| 外宮 | 多賀宮遥拝所 | 正宮東敷地の南にある。多賀宮を遥拝する。 |
| 外宮 | 川原祓所 | 正宮東敷地の南にある。俗に「三ツ石」という石積がある。南にある「中の御池」は元は川だった。 |
| 外宮 | 山口祭場 | 式年遷宮の山口祭を行う祭場。土宮の東南隅の空間を用いるようだ。山口祭場は内宮にもある。宮山祭場も同じ場所か。 |
| 外宮 | 宮山祭場 | 式年遷宮御船代祭の祭場。山口祭場と同じ場所か。 |
| その他 | 神田祭場 | 伊勢神宮神田にある。 |
| その他 | 忌鍬山木本祭場 | 伊勢神宮神田にある。 |
| その他 | 忌鍬山山口祭場 | 伊勢神宮神田にある。 |
| その他 | 頒布部祭場 | 頒布部にある |
| その他 | 御杣始祭祭場 | 木曽 |
| その他 | 宮川祓所 | 宮川の東岸にあった。勅使や祭主を迎える際の祓所という(「神宮の八座置神事について」[2]、神道大辞典[3])。元は「桜の渡し」の少し下流にあったが、1905年(明治38年)に世木神社内に移転。その後、1936年に中島町に移転。戦後は廃絶したらしい。 |
| その他 | 御船倉 | 瀧原宮にある。 |
調進関係
伊勢神宮御料地 伊勢神宮式年遷宮旧跡 伊勢神宮御杣山 御木曳旧跡
- 錦織綱場:岐阜県加茂郡八百津町錦織。錦織湊。木曽川を流れてきた材木をここで筏に組んだ。1421年(応永28年)には鎌倉建長寺再建のために使われた記録がある[4]。1452年(享徳1年)南禅寺再建御用材が大水で綱場から流出[5]。遷宮の使用はいつからか分からないが、応永以前から木曽山の木材が使われた。御樋代木奉迎で使われた最後は第58回のための1921年(大正10年)[6]。1842年(天保13年)に第54回御用材を取り扱った記録『錦織日記書抜』が残る[7]。1926年(昭和1年)に役割を終えた[8]。
- 又木貯木場:三重県桑名市長島町又木。室町時代から使われた[9]。1736年(元文1年)11月に式年遷宮のために使われた記録がある[10]。寛保年間に大島村に移転[11]。
- 大島貯木場:三重県桑名市長島町大島。寛保年間から明治中期まで使われたという[12]。1882年(明治15年)に神宮禰宜が又木村に出張している[13]。
- 桑名貯木場:三重県桑名市吉之丸。桑名城跡の堀を利用して設置した。帝室林野局(戦後は営林局)の施設。1879年(明治12年)7月、官営として設置[14]。第57回で仮御樋代木の貯蔵に使用[15][16]。1941年(昭和16年)10月8日に第59回式年遷宮のための御用材を奉安[17]。1945年(昭和20年)空襲で御料(御用材か)の一部が炎上[18]。戦後閉鎖[19]。
- 中須貯木場:愛知県名古屋市中川区中須町か。1941年(昭和16年)用地を買収[20]。1945年(昭和20年)11月27日竣工[21][22]。白鳥貯木場は帝室林野局の施設だったが中須貯木場は造神宮使庁の施設だったようだ。1961年(昭和36年)までは存在したらしい[23]。国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」の地図によると、1970年6月2日の空中写真[24]には貯木場らしき池が写るが、1974年1月7日の空中写真[25]では池は埋め立てられ、現在の打出水処理センターが建設されている。戦前(撮影日不明)の空中写真[26]。1946年6月7日の空中写真[27]。中須町には「斎宮社」という神社があるが伊勢神宮とは無関係のようだ。
- 白鳥貯木場:愛知県名古屋市熱田区。帝室林野局(戦後は営林局)の施設。式年遷宮で使用されたのは第58回と第59回か。ここから伊勢の大湊貯木場に海路で運ばれた。熱田貯木場とも。(「白鳥貯木場の沿革と既往に於ける事業の概要」[28]、「式年遷宮と木曽」[29])
- 大湊貯木場:三重県伊勢市大湊町。阿場池跡。大湊小学校跡。「神宮式年遷宮御用材大湊貯木場跡」碑が立つ。
- 鹿海貯木場:三重県伊勢市朝熊町。内宮御用材を大湊から回送して保管した。鏡宮神社そば。
- 宮川貯木場:三重県伊勢市中島。宮川東岸。外宮御用材を大湊から回送して保管した。「神宮御用材貯木池跡」碑がある。
祭祀者
| 名 | 家 | 概要 |
|---|---|---|
| 荒木田一門氏神社 | 一門 | 三重県伊勢市宇治館町岩井田山。祖神天見通命を祭る。元は小社村にあった。1486年(文明18年)岩井田山に移転。1908年(明治41年)に伊勢・宇治神社に合祀。 |
| 小社神社 | 一門 | 三重県度会郡玉城町小社曽根。荒木田氏一門の産土神。皇大神宮末社。 |
| 韓神山 | 一門 | 三重県伊勢市楠部町。祖神天見通命を祭る。荒木田一門の山宮か。 |
| 守武霊社 | 一門 | 三重県伊勢市宇治。荒木田守武を祀る。伊勢・宇治神社に合祀。 |
| 法泉寺 | 一門 | 三重県伊勢市宇治中之切町。荒木田氏(一門)の氏寺。真言宗。廃絶。 |
| 湯田神社 | 一門 | 三重県伊勢市小俣町湯田。皇大神宮摂社。荒木田氏が祀ったという。 |
| 荒木田二門氏神社 | 二門 | 三重県度会郡玉城町上田辺。祭神は天見通命。廃絶。 |
| 荒木田二門山宮 | 二門 | 三重県度会郡玉城町積良。祖先を祀る「山宮祭」の祭場だった。 |
| 津布良神社 | 二門 | 三重県度会郡玉城町積良。荒木田氏の祖先祭祀と関連か。皇大神宮末社。 |
| 田宮寺 | 二門 | 三重県度会郡玉城町田宮寺。荒木田氏(二門)の氏寺。長徳年間、荒木田氏長が創建。真言宗。現存。 |
| 田宮寺神社 | 二門 | 三重県度会郡玉城町田宮寺。御船殿跡がある。 |
| 棒原神社 | 二門 | 三重県度会郡玉城町上田辺。荒木田氏二門の産土神。皇大神宮摂社。 |
| 坂手国生神社 | 二門 | 三重県度会郡玉城町上田辺。皇大神宮摂社。 |
| 天覚寺 | 二門 | 三重県伊勢市二見町茶屋。二見ケ浦にあった。荒木田成長が創建。内宮の法楽を担った。廃絶。 |
| 荒木田墓地 | 三重県伊勢市宇治浦田。 | |
| 盛広院 | 三重県伊勢市宮後。浄土宗。荒木田氏の堤盛広が創建。浄土宗。明治に廃絶。 | |
| 弘安寺 | 所在地不詳。荒木田助行が創建。廃絶か。 |
- 御厨跡:
- 神〓(鳥墓神社)
参宮
- 参宮街道
- 天武天皇伊勢神宮遥拝所
教化
仏教関係
- 伊勢大神宮寺
- 松尾観音寺:三重県伊勢市楠部町。行基が参宮の際に創建。現存。
- 円光寺:三重県伊勢市中村町。宇治山田神社に隣接。道宝の参籠した旧跡という。廃絶。
- 三宝院:三重県伊勢市八日市場町。坂社の前に石碑。廃絶。
- 氏寺
- 大中臣氏
- 慶宝寺:三重県伊勢市岡本。祭主大中臣輔親が創建。真言宗。もとは釈尊寺といい、最初は三重県度会郡度会町大野木にあったとも、一之木町越坂にあったともいう。豊臣秀吉によって復興。明治に廃絶。
- 蓮華寺:三重県度会郡度会町棚橋。大宮司大中臣宗幹の娘婿の興胤(覚禅)が創建。醍醐寺との関係を深め、真言宗となる。通海(大中臣氏)が中興し、法楽寺と称した。足利尊氏に親しい賢俊が入り、北朝の拠点となったため、南朝軍と北朝軍が奪い合う地となった。戦国時代には衰退した。1717年に梅香寺の要誉信知が復興、蓮華寺に復称し、浄土宗となった。現存。
- 蓮台寺:三重県伊勢市勢田町。祭主大中臣永頼が創建。普賢菩薩を祀った。廃絶。
- 正寿院:三重県伊勢市岩渕。大宮司河辺家の菩提寺。赤門寺。現存。
- 大覚寺:大中臣千枝が創建。定尋(祭主大中臣公長の兄)が「大覚寺別当」を務めた。廃絶か。
- 荒木田氏
- 度会氏
- 大中臣氏
- 神宮本地仏奉斎寺院
- 勧進所
- その他
- 世義寺:三重県伊勢市岡本。修験道当山派。伊勢神宮関係の代表的な寺院。現存。
- 欣浄寺:三重県伊勢市一之木。浄土宗。法然旧跡。現存。
- 伊勢大日坊:真言宗。内宮の風宮(風日祈宮)の北にあった。もと穀屋と称し、寄進された供米を収蔵していた。廃絶。
- 建国寺:三重県伊勢市宇治浦田。臨済宗。廃絶。足利将軍家ゆかり。神宮支配下にあった。現在の愚狂庵という施設のあたりという。
- 太江寺:三重県伊勢市二見町江。真言宗。現存。本尊は千手観音菩薩。真言宗醍醐派。二見興玉神社の元宮がある。
- 神照寺:三重県伊勢市宇治館町。西行ゆかり。西行谷。廃絶。三重県営総合競技場敷地内。
- 寂照寺:三重県伊勢市中之町。徳川家ゆかり。月僊が住す。浄土宗。現存。
- 成覚寺:重源が参詣した時に随行の諸僧が宿所とした。
- 国束寺:三重県度会郡度会町平生にある天台宗寺院。現存。本尊は十一面観音。聖徳太子が天照大神の神勅を受けて国束山に創建したという。四天王寺末。和宗。四天王寺関連旧跡。
- 遍照院:三重県伊勢市楠部町。尾崎遍照院。
- 興光寺:三重県伊勢市。廃絶。宇治郷にあった。跡地不詳。弘正寺と同じく真言宗西大寺流。1369年に恵観という学僧がいた。
- 法住院:三重県伊勢市浦口。現存。四天王寺末。和宗。本尊は不動明王。仁和年間に円珍が創建。1556年(弘治2年)に清重が中興。和宗。寺号は山安寺。山号は華慶山。鎮守の稲荷堂が信仰を集めているようだ。
- 広徳寺:宇治今在家。内宮御師差配の寺。
- 養徳寺:宇治中之切。?
- 明覚寺:三重県伊勢市鹿海。廃絶。
- 日蓮大誓願霊場
- 妙見堂?
- 浄土真宗本願寺派伊勢教堂:廃絶。
- 伊勢丹生・神宮寺
- 新福寺:神宮典略[30]
- 仙宮院:三重県度会郡南伊勢町河内。志摩国?廃絶。天台宗。天台宗寺門派で、修験道との関わりがあったらしい。仙宮神社が現存。大峰東禅仙宮寺。
宇治六坊
真言山伏の寺だという。神宮典略[31]
祖師旧跡
| 宗派 | 祖師 | 旧跡 | 所在地 | 概要 |
|---|---|---|---|---|
| -- | 聖徳太子(574-622) | 国束寺 | 三重県度会郡度会町平生 | 本尊は十一面観音。601年(推古9年)聖徳太子が天照大神の神勅を受けて国束山に創建したという。天台宗。現在は和宗。 |
| 修験道 | 役小角(?-701) | 仙宮院 | 三重県度会郡南伊勢町河内 | 704年(慶雲1年)2月15日に役小角が創建したという(『仙宮院秘文』)。仙宮院は平安時代後期・鎌倉時代に中世神道の萌芽となった地として知られる。修験道が行われていた可能性があるがはっきりしない。仙宮院には行基、最澄、空海、円仁の伝承もある。廃絶。仙宮神社がある。天台宗。中世までは伊勢国ではなく、志摩国の領域だった。 |
| 法相宗 | 行基(668-749) | 松尾観音寺 | 三重県伊勢市楠部町 | 本尊は十一面観音。712年(和銅5年)行基が伊勢神宮参拝の時に創建。真言宗単立。 |
| 法相宗 | 行基 | 世義寺 | 三重県伊勢市岡本 | 本尊は薬師如来。741年(天平13年)行基が創建。修験道当山派十二正大先達の一つ。真言宗醍醐派。 |
| 法相宗 | 行基 | 菩提山寺 | 三重県伊勢市中村町菩提山 | 本尊は釈迦如来。744年(天平16年)創建。廃絶。真言宗。 |
| 法相宗 | 行基 | 太江寺 | 三重県伊勢市二見町 | 本尊は千手観世音。二見興玉神社の元宮がある。真言宗醍醐派。 |
| 天台宗 | 最澄(767-822) | 仙宮院 | 三重県度会郡南伊勢町河内 | 813年(弘仁4年)6月15日、最澄が大神宮のために吉津院(仙宮院)で蓮華会を執行(『仙宮院秘文』)。 |
| 真言宗 | 空海(774-835) | 丹生神宮寺 | 三重県多気郡多気町丹生 | 本尊は十一面観音。774年(宝亀5年)勤操が創建。815年(弘仁6年)空海が伊勢神宮参拝のときに立ち寄り伽藍を整備した。大師堂があり、丹生大師と呼ばれる。真言宗山階派。丹生神社の神宮寺。空海と丹生神が対面したという。 |
| 真言宗 | 空海 | 金剛証寺 | 三重県伊勢市朝熊町岳 | 本尊は虚空蔵菩薩。825年(天長2年)空海が大和善根寺で求聞持法を修めた時、赤精童子が影向して託宣を下し、朝熊山に修行に赴いたという。この時、天照大神の16歳の姿を写した雨宝童子を感得したという。807年(大同2年)ともいう。臨済宗南禅寺派。 |
| 天台宗 | 円仁(794-864) | 仙宮院 | 三重県度会郡南伊勢町河内 | 849年(嘉祥2年)9月、円仁、勅命により伊勢神宮神嘗祭に合わせて鎮守会を始める(『仙宮院秘文』)。 |
| 天台宗 | 円珍(814-891) | 法住院 | 三重県伊勢市浦口 | 本尊は不動明王。仁和年間に円珍が創建。天台宗。現在は和宗。 |
| 真言宗 | 重源(1121-1206) | 常明寺 | 三重県伊勢市倭町 | 度会氏(二門)の氏寺。神宮のための公的な大法要が常明寺で重源によって初めて行われた。東大寺大勧進となり大仏再建を担うことになった重源は再建成就祈願のため伊勢神宮参拝を発願。行基が伊勢神宮に誓願したという故事にならったものと言われる。『東大寺衆徒参詣大神宮記』によると、1186年(文治2年)2月に神宮に参詣して通夜参籠したところ、神託を得たので改めて僧侶60人で参拝することとなる。4月25日、重源一行は外宮に到着。この夜は成覚寺(跡地不詳)で一泊。4月26日、常明寺で神宮法楽・番論義を営んだ。その夜、外宮に参拝しているが僧侶が公的に神宮に参拝したのは史料で確かめられるものとしては初めてという。27日朝に常明寺で大般若経転読。同日、内宮参拝。二見天覚寺で宿泊。29日天覚寺で神宮法楽。番論義。30日天覚寺で大般若経転読した。1193年(建久4年)と1195年(建久6年)4月にも参詣している。常明寺は天台宗。明治の神仏分離で廃絶。 |
| 浄土宗 | 法然(1133-1212) | 欣浄寺 | 三重県伊勢市一之木 | 法然が神宮に百日参籠して道心堅固を祈念したところ、神前に日輪が示現し、その中に「南無阿弥陀仏」の名号が現れたという。名体不離、同体大悲の理を表すという。のち、旧家の宝庫に蔵されていたところ、炎上したとき、名号が空に飛び上がり、大木の枝に引っかかったので、それを供養するための寺院を1540年(天文9年)に建てた。本尊は阿弥陀如来。日の丸名号がある。法然上人二十五霊場の第12番札所。 |
| 臨済宗 | 栄西(1141-1215) | なし? | -- | -- |
| 曹洞宗 | 道元(1200-1253) | なし? | -- | -- |
| 浄土真宗 | 親鸞(1173-1262) | 専修寺 | 三重県津市一身田町 | 『高田開山親鸞聖人正統伝』[36]では1212年(建暦2年)に赦免されて京都に帰り、また東国に下る時の同年10月に伊勢神宮に参詣したという。「爰に伊勢大神宮は、国家の宗廟にして、殊に先祖の霊神なれば、其神恩も深く、亦和光の結縁も等閑ならずとて、参詣まします」とあり、奇瑞を記す。前夜には神職に天照大神の夢告があり、「明日、我崇むべき賓客の僧蓑笠を著てここに来るべし。是を瑞垣の内に入れよ、我近く対面せんとおもふ」と告げたという。『親鸞聖人正明伝』[37](伝存覚著。専修寺に伝わる)や仏光寺の『善信聖人親鸞伝絵』[38]でも同様のタイミングで参詣したとする。上記の典籍を批判する西本願寺の玄智景耀『非正統伝』[39]は「此等は伝記の異説にして、強て争ふべからず」としている。これらの伝承は、伊勢国地方で神国思想を背景として生じて、それを専修寺や仏光寺が取り入れたとも考えられる(山田雅教「親鸞の伊勢参宮伝承について」[40])。『高田開山親鸞聖人正統伝』によると、親鸞の例により、真慧は伊勢に専修寺を置き、歴代は一代一度の参宮をする故実があると記す。本尊は阿弥陀如来。真宗高田派。 |
| 日蓮宗 | 日蓮(1222-1282) | 常明寺 | 三重県伊勢市倭町 | 1253年(建長5年)3月、日蓮が比叡山などでの修行を終えて故郷に戻る途中に伊勢神宮に参拝したという伝承がある。この時、常明寺の井戸(誓願の井戸)で「三大誓願」を建てたという。 跡地には日蓮大誓願霊場がある。 |
| 時宗 | 一遍(1234-1289) | なし? | 『一遍聖絵』では近江国草津で伊勢神宮の示現に遭っており、尾張の萱津宿でも出現したという[41]。『一遍上人年譜略』[42]では1283年(弘安6年)に甚目寺の後に伊勢神宮に参拝したと記すが、『一遍聖絵』には記されない。史実としては伊勢神宮には参詣していないとされる(大橋俊雄「時衆の神祇への接近―特に一遍智真と他阿真教の行業を中心として」[43]、金井清光『一遍と時衆教団』[44])。 | |
| 真言律宗 | 叡尊(1201-1290) | 弘正寺 | 三重県伊勢市楠部町 | 叡尊は1273年(文永10年)に神宮に参詣して大般若経転読。1275年(建治1年)には弟子の忍性に命じて宋版大般若経を菩提山寺に奉納した。1280年(弘安3年)3月、門弟100人余りを率いて伊勢神宮に参拝し、蒙古退散を祈願。大蔵経を2部寄進した。この時、一堂を建てたのが弘正寺の起源で、高弟宣瑜(1240-1325、西大寺長老3世)が住職となった。本尊は大日如来。廃絶。ゆかりの楠部五輪塔が現存。 |
| 時宗 | 他阿真教(1237-1319) | 世義寺智証院か | 三重県伊勢市八日市場町 | 他阿真教は『遊行上人縁起絵』[45][46]では1301年(正安3年)11月、伊勢神宮参拝。外宮の禰宜が帰依し、内宮の禰宜の願いで神域で法要を営んだという。八日市場町あたりにあった山田法楽舎(世義寺内の智証院か)に宿泊。 |
| 時宗 | 国阿(1314-1405) | 神護念仏寺 | 三重県伊勢市(不詳) | 『国阿上人絵伝』[47]によると1375年(永和1年)、熊野参詣の後に伊勢にいたり、8月6日から神宮で千日詣を行う。満行すると天照大神の化身である雨宝童子から「伊勢熊野参詣輩永代許汚穢」の御判のある柏葉を授かった。さらに1380年(康暦2年)には外宮近くに「神護念仏寺」を建て、また安濃津(津市)に「神護永法寺」を創建[48][49]。神護念仏寺で参宮者の護符を配っていたという。また京都正法寺では江戸時代末まで参宮者のために「不浄除柏葉御判」の護符を発行していた[50]。 |
近世の神領
宇治
宇治六郷。二見二郷を加えて宇治八郷ともいう(1968『伊勢市史』[51]、1975『無形の民俗文化財』[52])二見二郷(溝口村、山田原村、三津村、江村)は1633年(寛永10年)に神領に復帰した。浜二郷ともいう。
| ■ | 郷名 | 産土神 | 所在地 | 概要 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 岡田郷 | 上二郷の一つ。中之切町。浦田町。今在家町。御師家が集中していた。 | ||
| 中之切町 | 宇治神社(楓神社) | 伊勢市宇治中之切町 | 宇治神社は現在は今在家町にあるが、元は中之切町にあった。跡地には楓神社がある。 | |
| 浦田町 | (なし) | 伊勢市宇治浦田町 | 「そのほか小祠もあったけれども浦田町の産土神というものはなく」(桜井勝之進1991「内宮門前町に見る儀礼文化」[53])とある。 | |
| 今在家町 | 饗土橋姫神社 | 伊勢市宇治今在家町 | 饗土橋姫神社は「地元の今在家町民においては明治十二年以降この神社を産土神としてまつり」(桜井勝之進1984「神宮所管の宮社」[54])という。「明治五年教部省の示達により三重県管轄に移され、雑社の格に入り、今在家町氏神として奉祭せしが、同十四年内務省の達あり宇治橋及両岸の鳥居を司庁の所管に属せられたれば、同二十二年に至り渡始式祭場の古例により、神宮所管に復旧すべく内務省に稟請せしに、同年四月十五日認可の指令あり、五月二十二日三重県より引渡を受け、茲に全く神宮所管の神社となりしが、今在家町よりは従前の如く氏神として例祭を行ふの許可を受けて先般迄奉祭し居たり」という(参宮新報社1909『神宮遷宮史・明治42年』[55])。「饗土橋姫神社と大山祇神社の氏子は共に明治四十一年に行はれた三重県下の村社無格社等の合併を機会に村社宇治山神社氏子となったので、この両所管社はそれ以来専ら神宮当局の祭祀するところとなった」(桜井勝之進1984「神宮所管の宮社」[56])。 | |
| 2 | 岩井田郷 | 大山祇神社 | 伊勢市宇治館町 | 上二郷の一つ。御師家が集中していた。大山祇神社は内宮所管社で、山神社と呼ばれた。「山神社は宇治橋の東方、島路山の入口に当るところに鎮座し、これまた明治十二年以降地元の館町の産土神となっていた」(桜井勝之進1984「神宮所管の宮社」[57])という。「饗土橋姫神社と大山祇神社の氏子は共に明治四十一年に行はれた三重県下の村社無格社等の合併を機会に村社宇治山神社氏子となったので、この両所管社はそれ以来専ら神宮当局の祭祀するところとなった」(桜井勝之進1984「神宮所管の宮社」[58])。『神都名勝誌4』[59]に「大山祇神社。宇治橋の東一町許、山の麓に座す。館町の産土神なり」とある。大山祇神社に隣接する子安神社(内宮所管社)も「もとは宇治館町の産土神として、特に安産の民間信仰を持ってゐた」(猿田彦神社講本部1943『神宮摂末社巡拝・下』[60])という。 |
| 3 | 中村郷 | 上田神社 | 伊勢市中村町 | 下四郷の一つ。桜木町の一部も含む。上田神社は「内宮別宮月読宮の南に鎮座する中村町の産土神で、もとは八王子社といった」(中川竫梵1983『伊勢の文学と歴史の散歩・続』[61])。『神都名勝誌5』[62]に「八柱神社。本村(引用注。北中村)に坐せり。産土神なり」とある。石井昭郎1976「神宮と中村について」[63] |
| 4 | 楠部郷 | クス尾神社 | 伊勢市楠部町 | 下四郷の一つ。現在の楠部・古市・久世戸町・中之町・桜木町一部。クス尾神社は『神都名勝誌5』[64]に「八柱神社。本村(引用注。楠部)字尾崎に坐せり。産土神なり」とある。 |
| 5 | 鹿海郷 | 鹿海神社 | 伊勢市鹿海町 | 下四郷の一つ。『神都名勝誌5』[65]に鹿海村の項目に「鹿海社。加努弥神社の西に坐せり。産土神なり」とある。鹿海神社の他に、内宮末社の加努弥神社もあるが、加努弥神社は「中世以後、社地明らかならず、明治以後になって、西鹿海村の産土神を本社のようにして神宮が祭祀してきたが、村民がこれを穏当とせず、明治十九年、その東方に、新地として鎮坐することになった」(郡敏子1983『伊勢の百話』[66])という。『神宮大綱』[67]。 |
| 6 | 朝熊郷 | 不詳 | 伊勢市朝熊町・一宇田・二見町松下 | 下四郷の一つ。 |
山田
二見
二見七郷。順番は要検討。勢陽五鈴遺響[68]、倭訓栞[69]を参照。
- 1溝口村:伊勢市二見町溝口。南三郷の一つ。内宮領。
- 2山田原村:伊勢市二見町山田原。南三郷の一つ。内宮領。溝口村に付属。
- 3三津村:伊勢市二見町三津。南三郷の一つ。内宮領。
- 4江村:伊勢市二見町江。南三郷の一つ。内宮領。
- 5出口村:伊勢市二見町。廃絶。荘村と三津村の間の高いところにあった(神三郡神社参詣記[70])。
- 6西村:伊勢市二見町西。北三郷の一つ。外宮領。
- 7荘村:伊勢市二見町荘。北三郷の一つ。外宮領。
- 8今一色村:伊勢市二見町今一色。北三郷の一つ。外宮領。
浜五郷
浜五郷[71]。外宮領。
- 1神社村:伊勢市神社港
- 1馬瀬村:伊勢市馬瀬町
- 1竹ケ鼻村:伊勢市竹ケ鼻町
- 2通村:伊勢市通町
- 3一色村:伊勢市一色町
- 4黒瀬村:伊勢市黒瀬町
- 4阿竹村:伊勢市田尻町阿竹
- 5小木村:伊勢市小木町
- 5田尻村:伊勢市田尻町
- 5下野村:伊勢市下野町
- 5新開村:伊勢市御薗町新開。外宮摂社の河原神社がある。
その他
- 常明寺門前町:伊勢市倭町
- 大湊:伊勢市大湊町。近郷と共に「浜七郷」を形成。大湊貯木場も参照。
- 高向:伊勢市御薗町高向
- 上長屋:伊勢市御薗町長屋
- 下長屋:伊勢市御薗町長屋
- 王中島:伊勢市御薗町王中島
- 中河原:伊勢市宮川町
- 神田久志本:伊勢市神久。河崎町に付属。
- 前山:伊勢市前山町・旭町・藤里町
周辺
- 御川神事場
墓地
- 荒木田墓地:荒木田守武墓、荒木田氏経墓
- 中村墓地:三重県伊勢市中村町。菩提山神宮寺の「曼陀羅石」が残る。
- 薗田家墓所
- 荒木田泰国墓
- 宇治土公家墓所
- 足代弘訓墓
- 天神丘墓地:御師の白米家の墓地。荒木田久老の墓。
- 浦口町墓地:荒木田麗女墓
- 今北山墓地:三重県伊勢市宇治浦田。宇治橋供養塔、十三仏石塔がある。荒木田末寿墓
- 大世古墓地:
- 慶光院墓地:
- 妙見山墓地:三重県伊勢市岩淵。河辺精長の墓。
- 一誉坊墓地:
- やすらぎ公園墓地:古神道仙法教の墓地や伊勢祖霊社の鎮魂殿がある。
- 五輪塔:叡尊の墓という説がある。
伊勢信仰の広まり
参考文献
脚注