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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

チョウ然旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年12月15日 (金)

チョウ然から転送)
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奝然(チョウ然)(ちょうねん)(938-1016)は、清凉寺如来を中国から日本に請来した真言宗僧侶東大寺出身。宋皇帝から法済大師号を下賜される。

京都出身。藤原真連の子。東南院観理に三論宗を、石山寺元杲に密教を学ぶ。983年(永観1年)弟子の盛算、祚壱、嘉因らと共に入宋。天台山参拝に続いて翌雍煕元年(984)、皇帝太宗に謁見。紫衣を賜い、法済大師号を下賜される。太平興国寺に住す。勅を得て入宋の目的である五台山に参拝。都に戻り、太宗から『新印大蔵経』下賜。聖禅院で優填王の刻んだ釈迦像に拝礼。この模刻を造り、987年(永延1年)に帰国。愛宕山清凉寺創建を発願。989年(永祚1年)7月10日、東大寺別当59世に任命。991年(正暦2年)には大仏殿で大般若経転読。同年辞任。1016年(長和5年)3月16日死去。死後、弟子の盛算が清凉寺創建を実現する。

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