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二見興玉神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年1月12日 (金)
二見興玉神社(ふたみ・おきたま・じんじゃ)は、三重県伊勢市にある興玉信仰(猿田彦信仰)の神社。祭神は、猿田彦大神と宇迦御魂大神(ウェブサイト)。伊勢神宮関連旧跡。旧村社。別表神社。猿田彦神の旧跡とされる、海中にある興玉神石を遥拝する。景勝地として著名な夫婦岩(立石)は興玉神石を拝むときの鳥居の役割を果たす。
興玉神石は沖合約700mに位置する。寛政9年(1797)の『伊勢参宮名所図会』に記載がある。巨大な平石だったと伝わり、江戸時代には引き潮のときには姿を見せていたが、安政元年(1854)の地震によって海中に沈んだとされている。現在は岸辺から望むことはできない。
目次 |
奉斎
歴史
二見興玉神社は、現在でこそ大きな社殿を持つ神社となっているが、元来は遥拝所のみであったようである。社殿が建てられたのは明治以降のことのようである。戦前発行の伊勢の地誌や案内書には夫婦岩の記載はあっても二見興玉神社の記載はほとんどみられない。明治初年と思われる喜多村豊景の二見浦の絵には、夫婦岩と「沖玉石」を拝む位置に鳥居と祭壇(現在の「日の神皇居遥拝所」にあたるか)、小屋が描かれているのみである。
『三重県神社誌』(平成5)によると、慶長11年に三宮神社が創建されたとある。これは現在の境内社天の岩屋社であるらしい。三狐神社とも呼ばれ、宇迦御魂大神を祭神とすることから稲荷信仰の神社だったようだ。稲荷神は岩窟に祭られることが多い。ただし現在の神社では伊勢神宮外宮の神としている。『県神社誌』によると21年ごとに遷宮し、11月4日に祭典を行っていたといい、明治43年3月30日に境内社興玉社を合祀して二見興玉神社と改称したとある(『神社辞典』などには明治41年とある)。
この「境内社興玉社」については国名勝指定時の文化庁の説明に「明治30年(1897)には遥拝地点に興玉神社が創始され」とあるのがそれであると思われる。近隣の太江寺の由緒によると、興玉社は太江寺から遷したものとしている。ただ同寺に興玉神を祭ったということを記した古い記録は未確認である。
『神社辞典』『神道辞典』などには旧村社とあるが、昭和13年(1938)の三重県神職会編『三重県下の特殊神事』には無格社とある。
境内社として龍宮社がある。昭和20年7月8日に近隣の栄野神社を合祀するが、昭和26年1月に元の鎮座地に復祀され、境外神社となった。
境内
画像
参考文献