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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

五十嵐神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年1月5日 (日)

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五十嵐神社(いがらし・じんじゃ)は新潟県三条市飯田宮浦(越後国蒲原郡)にある神社。祭神は五十日足彦命。官社県社皇族奉斎神社

歴史

官社「伊加良志神社」とされる。五十日足彦命(五十日帯日子王)は垂仁天皇の皇子。古事記には高志池君などの祖と記述があり、高志池君は「越の国」(越前・越中・越後)の豪族とみられる。五十嵐神社の創建は不詳。五十嵐小文治が建てたともいう。神社の近くの宮沢の地に五十日足彦命が住んでいたと伝える。鎮座地周辺は舞鶴の岡と呼ばれ、五十日足彦命の陵墓と伝える(治定外)。元は宮本の地(五十嵐館跡?)にあったが、のちに現在地に遷座。近世には若一王子飯田神社と呼ばれた。若一王子の名称からは熊野信仰の影響が考えられる。1874年(明治7年)に社殿造営。1877年(明治10年)に村内の神社10社を合祀。1923年(大正12年)5月県社(神道史大辞典)。

「五十日帯日子命陵墓」碑がある。王子を葬ったという羽黒陵もある。

(日本歴史地名大系)

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