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皇族奉斎神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年5月18日 (土)
神社などに奉斎された皇族と主要な皇族の一覧。皇室も参照。
目次 |
神社別
神宮・官国幣社
府県社
人物別
神話時代
- 彦五瀬命:神武天皇の兄
- 神八井耳命:
- 健磐龍命:阿蘇信仰
- 彦坐王:
- 四道将軍
- 豊城入彦命:崇神天皇皇子。垂仁天皇の兄。上毛野君氏、下毛野君氏、垂水公氏、大網公氏の始祖。上野・総社神社を創建。関東地方に伝承が多いが、近江にも末裔と称する一族がおり、奉斎神社がある。奉斎神社は宇都宮二荒山神社、各地の赤城神社、近戸神社、大荒比古神社、大荒比古鞆結神社、垂水神社、阿見・阿弥神社、桑原神社、下新川神社、嶽山箒根神社など。墓の伝承地・考証地としては総社二子山古墳、前二子古墳、丸山古墳などがある。二荒山神社の背後の古墳も祭神の墳墓だという(鎌田純一氏)。豊城命、豊木入日子命とも。
- 五十日足彦命:垂仁天皇皇子。五十日帯日子王。奉斎神社は多いが、五十嵐神社以外は関係性は薄いようだ。
- 国乳別皇子:景行天皇皇子。奉斎神社は宇和津彦神社と弓頭神社。墓は治定外国乳別皇子墓。
- 倭姫命:
- 神功皇后:
- 息長日子王:神功皇后の兄弟。阿宗神社の配祀神「阿宗親王」のこととされる。
- 菟道稚郎子:
- ヤマトタケル:
飛鳥時代
- 聖徳太子(574-622):仏教思想を国政に本格的に導入した政治家。用明天皇皇子。法隆寺など多数の寺院を創建。叡福寺に治定聖徳太子墓。
- 麻呂子皇子:用明天皇皇子。当麻氏の祖。当麻寺を創建。当麻都比古神社祭神。
- 蜂子皇子(生没年不詳):出羽三山の伝説的な開祖。修験僧。崇峻天皇皇子。父帝が暗殺され、出羽国に逃れたとされる。治定蜂子皇子墓。蜂子神社祭神。諡号は照見大菩薩。
- 有間皇子(640-658):孝徳天皇の皇子。紀伊国藤白で刑死。有間皇子神社が藤白神社内にある。治定外有間皇子墓。
- 表米親王(生没年不詳):孝徳天皇皇子とされる伝説的な人物。日下部氏、朝倉氏の祖という。赤淵神社や竹田・表米神社、久世田・俵米神社の祭神。陵墓は久世田俵米神社にある。
- 高市皇子(654-696):天武天皇皇子。壬申の乱で活躍。東小高神社祭神。墓所不明。
- 草壁皇子(662-689):天武天皇皇子。皇太子のまま死去。諡号は岡宮御宇天皇。菩提寺は粟原寺(廃絶)。宮道天神社祭神。治定岡宮天皇陵。
- 大津皇子(663-686):天武天皇皇子。二上山に治定大津皇子墓。薬師寺若宮社祭神。
- 志貴皇子(?-716):天智天皇皇子。諡号は春日宮御宇天皇。通称は田原天皇。奈良豆比古神社祭神。治定春日宮天皇陵。
- 舎人親王(676-735):天武天皇皇子。『日本書紀』を編纂。諡号は崇道尽敬皇帝。藤森神社祭神。墓所不明。黄金塚陵墓参考地が候補地。
- 山背大兄王(?-643):聖徳太子の王子。墓所不明。
- 長屋王(684?-729):天武天皇の孫で高市皇子の王子。「長屋王の変」で死去。奈良県奈良市に長屋王神社がある。治定長屋王墓。
- 吉備内親王(?-729):長屋王の妃。「長屋王の変」で死去。上御霊神社の祭神という説がある。治定吉備内親王墓。
奈良時代
- 光明皇后(701-760):東大寺大仏の造営を提案した政治家。聖武天皇の皇后。藤原氏出身。治定光明皇后陵。
- 井上内親王(717-775):怨霊神。光仁天皇の皇后。皇位継承の争いで罪を着せられ軟禁され死去。菩提寺として霊安寺が建てられた。五条・御霊神社祭神。治定井上内親王陵。
- 高野新笠(?-789):光仁天皇の妃。桓武天皇、崇道天皇の母。治定高野新笠陵。
- 開成皇子(724-781):勝尾寺を開いた伝説的な僧侶。光仁天皇皇子。治定開成皇子墓。
- 崇道天皇(750-785):古代の代表的な怨霊神。光仁天皇皇子。皇位継承の争いで罪を着せられ軟禁され死去。上御霊神社祭神。治定崇道天皇陵。早良親王。
- 他戸親王(761-775):怨霊神。光仁天皇皇子。母は井上内親王。皇太子となるが、皇位継承の争いで罪を着せられ軟禁され死去。菩提寺として霊安寺が建てられた。五条・御霊神社祭神。治定他戸親王墓。
平安時代
- 伊予親王(?-807):怨霊神。桓武天皇皇子。御霊神社祭神。治定伊予親王墓。
- 万多親王(788-830):学者。桓武天皇皇子。『新撰姓氏録』を編纂。墓所不明。
- 有員親王(生没年不詳):伝説的な神職。桓武天皇皇子。諏訪大社大祝を務めた神(みわ)氏(諏訪家)の開祖という。ただし神氏は諏訪大神の子孫ともいう。治定外有員親王墓。
- 阿保親王(792-842):平城天皇皇子。治定阿保親王墓が菩提寺の親王寺の近くにある。阿保天神社、在原神社などの祭神。
- 真如法親王(799-865?):多くの寺を開いた真言宗の入唐僧。平城天皇皇子。空海の弟子。超昇寺開山。入唐にインドに向かうが、羅越国(シンガポール周辺)で虎に襲われて死去したという。俗名は高岳親王。マレーシアのジョホールバル日本人墓地に治定外真如親王塔がある。
- 遍昭(遍照)(816-890):天台僧。円仁、円珍に師事。桓武天皇皇孫で良岑安世の子。皇族ではないが、墓は皇族扱いを受けている。元慶寺開山。花山僧正、僧正遍昭。治定遍照墓。
- 恒寂入道親王(825-884):大覚寺開山の真言僧。淳和天皇皇子。俗名は恒貞親王。入道塚陵墓参考地が墓の伝承地。
- 人康親王(831-872):仁明天皇皇子。盲人自治組織の当道座の祖とされる。雨夜尊(あまよのみこと)とも呼ばれる。山科徳林庵に供養塔がある。京都清聚庵や江戸一ツ目弁財天でも報恩法要の積塔会が行われていた。
- 聖宝(832-909):醍醐寺や東大寺東南院を開いた真言僧。葛声王の王子で、天智天皇6世孫という。俗名は恒蔭王。後世、修験道当山派の開祖とされる。諡号は理源大師。鳳閣寺に治定外聖宝墓。また沓塚陵墓参考地が墓の候補地。
- 惟喬親王(844-897):木地師の開祖とされる文徳天皇の皇子。通称は小野宮。僧名は素覚。惟喬神社、大皇器地祖神社など多くの奉斎神社がある。治定惟喬親王墓。
- 貞元親王(?-909):清和天皇の皇子。海野氏・真田家の始祖とされ信濃海野・白鳥神社、信濃松代・白鳥神社祭神。千葉県に貞元親王墓(治定外)がある。
- 貞保親王(870-924):清和天皇の第四皇子。真田家の始祖とされ松代白鳥神社祭神。
- 高望王(生没年不詳):桓武平氏の祖。平高望。桓武天皇の皇孫で葛原親王の王子。墓所不明。
- 斉世親王(886-927):菅原道真の娘婿。仁和寺の僧。宇多天皇皇子。真寂法親王。墓所不明。北野天満宮内の地主神社の相殿に祀られている。
- 光遠親王(生没年不詳):宗像大社初代大宮司。宇多天皇皇子。宗像清氏。
- 経基王(?-961):清和源氏の祖先神となった武将。源経基。清和天皇の皇孫で、貞純親王の王子。通称は六孫王。六孫王神社に祀られ、現在も神社の背後に墓があるという。
- 空也(903-972):日本の浄土教の先駆者となった僧。皇族の出ともいうが不詳。市聖、市聖人。六波羅蜜寺を創建。近くの西光寺に治定外空也墓がある。
- 寛忠(906-977):真言僧。敦固親王の王子で宇多天皇皇孫。親王の子として初の僧綱となる。禅林寺住職。寛忠僧正。池上僧都。墓所不明。
- 寛朝(916-998):成田山新勝寺を開いた真言僧。敦実親王の子で宇多天皇皇孫。真言宗広沢流の祖。遍照寺を創建。仁和寺別当。西寺別当。東寺長者。東大寺別当。東密声明の中興。広沢大僧正、遍照寺僧正、広沢御房。墓所不明。
- 明観(953-1021):醍醐寺座主。佐忠王(醍醐天皇皇子)の王子。明観僧正。墓所不明。
- 覚源(1000-1065):醍醐寺座主。花山天皇皇子。覚源僧正。通称は宮僧正。墓所不明。
- 深観(1001?-1050):真言僧。花山天皇第4皇子。東大寺別当。東寺長者。金剛峰寺座主。深観僧都。坐禅院僧都。宮大僧都。
- 性信法親王(1005-1085):真言僧。三条天皇皇子。仁和寺2世。空海の再来と呼ばれる。治定外性信法親王墓。
- 覚法法親王(1092-1153):真言僧。白河天皇皇子。仁和御流の祖。高野山総持院の裏山に治定覚法親王墓がある。
- 聖恵法親王(1094-1137):真言僧。白河天皇皇子。華蔵院流の祖。仁和寺華蔵院に住す。長尾宮、華蔵院宮。 墓所不明。
- 顕広王(1095-1180):神職。白川伯王家の祖。花山天皇の五世孫。王氏長者。神祇伯の世襲に道を開く。
- 以仁王(1151-1180):治承寿永の乱を起こした政治家。後白河天皇の皇子。天台僧として出家するが後に還俗。1180年(治承4年)、源頼政に奉じられて平氏討伐の令旨を発令し、6年間に渡る源平合戦が始まる。最勝親王と自称。同年、山城国南部の光明山寺の近くで戦死。通称は三条宮、高倉宮。高倉神社祭神。治定以仁王墓。
- 頼威親王(生没年不詳):後白河天皇の第三皇子と伝える。雲上公(くものうえのこう)。雲上佐一郎。雲上佐市郎。河内神社祭神。三面川沿いに雲上公伝説が分布し、サケ漁と関連するとも。
- 北陸宮(1165-1230):以仁王の王子。僧侶。諱は不明。以仁王の死後、出家して北陸に逃れるが、還俗して源義仲に奉じられる。木曽宮。富山県下新川郡朝日町に治定外北陸宮墓。
- 道尊(1175-1228):蓮華光院門跡を創建した真言僧。安井御流の祖。以仁王の王子。父の挙兵により出家させられた。東大寺別当、東寺長者、仁和寺別当。通称は安井宮御室、安井宮。墓所不明。
鎌倉時代
- 覚仁親王(1198-1266):園城寺長吏。天台僧。後鳥羽天皇皇子。頼仁親王の兄。後嵯峨上皇の熊野行幸の先達を務める。児島に移り、のち弟と共に五流尊瀧院を中興したとされる。桜井宮。 治定外覚仁親王墓。
- 頼仁親王(1201-1264):児島修験開祖・五流尊瀧院中興となった天台修験僧。後鳥羽天皇皇子。承久の乱に関わった罪で備前児島に流され、兄と共に五流尊瀧院を中興。現在まで親王の子孫の宮家家が歴代住職を務めているとされている。冷泉宮、児島宮。治定頼仁親王墓。
- 善性房(生没年不詳):伝説的な浄土真宗僧。親鸞高弟二十四輩の第9番。後鳥羽天皇の皇子。俗名は正懐親王。周観大覚。鸞英。常陸・大覚寺、浄興寺を創建。
- 善俊(1214-1282):伝説的な浄土真宗僧。親鸞の弟子。後鳥羽天皇皇子とも皇孫(善性房の子)ともいう。飛騨に照蓮寺を創建。嘉念坊。堀端・照蓮寺に治定外墓所。火葬場跡もある。
- 寒巌義尹(1217-1300):曹洞宗寒巌派の開祖。後鳥羽天皇皇子(順徳天皇皇子とも)。肥後・如来寺に治定外寒巌義尹墓。
- 弘仁太子:土御門天皇皇子という。豊橋長慶寺開山と伝承される。弘仁太子墓(治定外)がある。
- 信念(1219-1286):佐渡・勝興寺を開いた伝説的な浄土真宗僧。親鸞の弟子。順徳天皇皇子。彦成王、成尊、善空房。佐渡に西三川陵墓参考地がある。
- 宗尊親王(1242-1274):鎌倉幕府将軍6代。後嵯峨天皇第一皇子。亀山天皇の兄。京都・福田寺を創建したと伝える。明鏡寺の観音堂は親王の念持仏を祀るといい、その鎮守伊岐津志・南宮神社は親王を祀るという。墓所は不明。
- 王阿(生没年不詳):時宗御影堂派の開祖。新善光寺開山。後嵯峨天皇皇子。俗名不明。墓所不明。
- 高峰顕日(1241-1316):五山派の臨済宗僧。後嵯峨天皇皇子。円爾弁円や無学祖元に師事。弟子に夢窓疎石ら。雲巌寺に治定顕日王墓があり、建長寺正統院に治定分骨塔がある。
- 惟康親王(1264-1326):鎌倉幕府将軍7代。宗尊親王王子。帰洛後、嵯峨で出家したという。親鸞御影を奉じて鎌倉に逃げた唯善に寄進し常敬寺を創建したとされる。日蓮に命じて書かせた「日の丸旗曼荼羅」が押上最教寺にある。墓所は不明。
- 鐘山道栄():宗尊親王王女。禅智院開山。
- 仁澄():惟康親王王子。日光山の初の皇族座主。
- 久明親王(1276-1328):鎌倉幕府将軍8代。後深草天皇第六皇子。帰洛後出家。法名は素円。日朗を庇護し本圀寺の土地を寄進したという。墓所は不明。神武寺やぐら群に伝承地がある。
- 守邦親王(1301-1333):鎌倉幕府将軍9代。久明親王王子。覚如に本願寺留守職の令旨を授けた(本願寺の史料上の初出)。鎌倉幕府の滅亡後、将軍職を退き出家したが、まもなく死去。墓所は不明。
- 梅皇子:後深草天皇皇子とも、守邦親王王子ともいう。埼玉県小川町大塚の八幡神社の祭神とする説がある。
南北朝時代
南朝人物旧跡も参照。
- 恒性法親王(1305-1333):真言宗僧。後醍醐天皇皇子。父帝が隠岐に流されるとともに越中配流となる。富山県高岡市に治定恒性王墓。大覚寺宮。越中宮。
- 源光(生没年不詳):浄土真宗僧。後醍醐天皇皇子。吉野光遍寺を創建。 墓所不明。
- 護良親王(1308-1335):天台僧。後醍醐天皇皇子。天台座主。鎌倉宮に祀られ、近くに治定護良親王墓がある。
- 尊澄法親王(宗良親王)(1311-1385?):妙法院門跡24世。後醍醐天皇皇子。天台座主。井伊谷宮祭神。治定宗良親王墓。
- 尊良親王(1311-1337):後醍醐天皇皇子。金崎宮祭神。京都禅林寺に近くに治定尊良親王墓。
- 無文元選(1323-1390):臨済宗僧。後醍醐天皇皇子。遠江・方広寺開山。同寺に治定元選王墓。
- 恒良親王(1324-1338):後醍醐天皇皇子。金崎宮祭神。墓所不明。
- 懐良親王(1329-1383):後醍醐天皇皇子。八代宮祭神。懐良親王墓。
- 進子内親王(生没年不詳):光照院門跡を創建した尼僧。後伏見天皇皇女。自本覚公。墓所不明。
- 貞煕僧全(敬法)(?-1400):清浄華院8世。伏見天皇皇孫。尊煕親王の王子。神蔵寺に住した。墓所不明。
- 尊観法親王(1349-1400):清浄光寺遊行上人12世。時宗中興と言われる。亀山天皇の孫とされ、時宗が南朝門流と称す根拠とされる。 長門・専念寺に治定尊観親王墓がある。
- 海門承朝(1374-1443):相国寺の僧。長慶天皇皇子。父帝の菩提寺の慶寿院を創建。同院に治定墓がある。
- 真阿(1385-1440):浄土宗僧。後亀山天皇皇子。誓願寺38世の恵空道禅に師事。一念寺を再興。十念寺を創建。義恩とも。遺言により水葬にされ、その場所は真阿ケ淵と呼ばれている。十念寺に治定外墓。
室町時代
- 小川宮(1404-1425):後小松天皇皇子。父の怒りを買うがのち許された。夭折。出羽に下った伝説があり、黒川春日神社に治定外の墓所伝承地がある。
- 恒敦親王(?-1422):後南朝小倉宮の祖。後亀山天皇皇子。墓所不明。
- 尊秀王(生没年不詳):後南朝小倉宮の当主。自天王、北山宮とも呼ばれる。北山神社祭神。1443年(嘉吉3年)、禁闕の変を起こす。瀧川寺に治定北山宮墓がある。
- 一休宗純(1394-1481):臨済宗応燈関派の僧。後小松天皇の落胤と言われる。大徳寺47世。風狂を演じる。狂雲子。瞎驢。夢閨。周建。 酬恩庵に治定宗純王墓がある。
- 真智(?-1585):浄土真宗僧。後柏原天皇皇子。常盤井宮。専修寺に入るが、応真と後継争いで敗れる。熊坂・専修寺を創建。現在は専修寺歴代から除歴されている。熊坂の寺院跡に治定外墓。
- 見子内親王(生没年不詳):後光厳天皇皇女。三時知恩寺を創建。墓所不明。
- 慈光():浄土真宗僧。錦織寺8世(歴代に含めない場合もあるようだ)。伏見宮邦高親王の王子。墓所不明。
- 日承王:本能寺を中興した日蓮宗僧。伏見宮邦高親王の王子。同寺に治定墓がある。
江戸時代
- 良純法親王(1603-1669):後陽成天皇皇子。 知恩院宮初代。
- 文智女王(1619-1697):後水尾天皇皇女。円照寺門跡を創建。円照寺宮。
- 守澄法親王(1634-1680):初代輪王寺宮。
- 大江磐代(1744-1812):光格天皇の生母。閑院宮典仁親王(慶光天皇)の側室。伯耆・大江神社祭神。
- 円遵(1746-1819):有栖川宮家出身の浄土真宗僧。霊元天皇皇曾孫。専修寺18世。
明治時代
- 有栖川宮幟仁親王(1812-1886):有栖川宮8代当主。幕末に孝明天皇の信任を得る。明治政府に参画し、初代神祇事務総督、神道教導職総裁を務め、祭神論争の終結にあたる。皇典講究所総裁。神道事務局総裁。
- 久邇宮朝彦親王(1824-1891):久邇宮。青蓮院門跡。天台宗僧、神職。伏見宮邦家親王の第4王子。興福寺一乗院門跡。天台座主。還俗して伊勢神宮祭主。久邇宮泉涌寺墓地。尊応法親王、尊融法親王。
- 久我誓円(1828-1910):善光寺大本願住職。浄土宗尼。伏見宮邦家親王の第3王女。久我通明養女。京都の華頂宮邸跡に得浄明院を創建。
- 伏見宮文秀女王(1844-1926):円照寺門跡。臨済宗尼。皇族最後の僧侶。伏見宮邦家親王の第7王女。
- 北白川宮能久親王(1847-1895):最後の輪王寺宮。天台宗僧。東武皇帝。邦家親王の第9王子。台湾神宮・靖国神社祭神。
- 渋谷家教(清棲家教)(1862-1923):仏光寺26世。浄土真宗僧。伏見宮邦家親王の第15王子。のち還俗。
- 久邇宮邦彦王(1873-1929):皇典講究所総裁。神宮臨時祭主。朝彦親王の王子。上皇の外祖父。
- 多喜子内親王(1897-1899):明治天皇皇女。貞宮遥拝所が防府天満宮にある。