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得浄明院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年10月26日 (木)
得浄明院(とくじょうみょういん)は、京都府京都市東山区林下町にある、善光寺信仰の浄土宗尼僧寺院。本尊は善光寺如来。長野県善光寺大本願の京都別院。浄土宗知恩院派の特別寺院。知恩院宮の華頂殿の跡地。山号は本覚山。
- 1882年(明治15年)6月、知恩院門跡(華頂宮家)の御殿「華頂殿」の跡地が、善光寺大本願117世の誓円に寄進されたことに端を発す。
- 1894年(明治27年)9月に京都別院として創建された(1901年(明治34年)4月とも。新纂浄土宗大辞典年表)。
- 1925年(大正14年)2月13日、特別寺院に指定(新纂浄土宗大辞典年表)。
- 1969年(昭和44年)9月23日、特別寺院に指定(新纂浄土宗大辞典年表。浄土宗近代百年史年表では29日)。
本堂は信濃善光寺を模したつくりで、一光三尊阿弥陀如来の分身を祀り、下層には戒壇廻りを備えている。 また本田善光、弥生前、本田善佐を三公尊として祀る。本堂外陣の「得浄明院」額は山階宮晃親王筆によるもの。
『知恩院史』[1]
組織
歴代住職
- 1久我誓円(1828-1910)<1894?-1910>:善光寺大本願117世。伏見宮邦家親王第三王女。明治維新で皇族の僧職が許されず、久我家に入る。善光寺上人9世。青山善光寺、和光寺を兼務。1910年(明治43年)得浄明院で死去。墓所は一心院と善光寺。得浄明院殿本蓮社大僧正覚誉上人順阿智鏡誓円大法尼。(略歴は善光寺大本願#組織を参照)
- 近藤正道()<>:尼僧。自坊は名古屋聴性院。短期間の在職か[2]]
- 二条誓康(1903-1953)<>:二条家(分家。男爵)の二条正麿の子。本家(公爵)二条基弘の養女。二条康子。1903年(明治36年)生。和光寺を兼務。1953年(昭和28年)5月23日死去。50歳。
- 伏見誓寛(1938-)<>:二条誓康の弟子。1959年(昭和34年)4月26日和光寺晋山。三時知恩寺門跡も兼務。