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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

京都・一乗寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年4月13日 (月)

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一乗寺は、京都府京都市左京区にあった天台宗寺院。園城寺末の寺門派だった。廃絶。地名として残る。八大神社が鎮守だった。(参考:同名寺院一乗寺

歴史

1063年に一条天皇中宮の藤原彰子(上東門院)が創建したと伝えるが、それ以前の 981年には存在していたらしき記録がある。同年の寺門派余慶の法性寺座主就任の是非を問う山門寺門の抗争の際に寺門派の穆算らが一乗寺に避難している。 日本紀略988年10月26日条にも円融法皇延暦寺御幸の途中で一乗寺に滞在したとつづる。 1001年7月17日には一乗寺般若院に阿闍梨5口の設置が認められており、寺院として既に成立していたことが明白である。

扶桑略記1080年、園城寺隆明と聖護院増誉の周旋で、上東門院の御願寺となった。 増誉が一乗寺僧正と呼ばれたのは一乗寺に住んだためである。 1121年5月27日、延暦寺勢により焼き討ちされた。 その後再興されたが、南北朝時代の兵乱で焼失した。 1959年、「一乗寺跡」碑が建てられた。礎石が残るという。

(『日本歴史地名大系』)

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