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加賀・超勝寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年6月20日 (火)
超勝寺(ちょうしょうじ)は、加賀国にあった浄土真宗寺院。超勝寺は元は越前にあったが本覚寺と共に国外追放となり一時加賀にあった。のち越前に帰還。
超勝寺は越前・本覚寺と共に越前一向一揆の中核的寺院だが、 1506年に朝倉氏に敗北し、同年7月、越前国藤島から加賀国に逃れた。最初は江沼郡横北郷塔尾(とのお)(石川県加賀市塔尾)にあり、塔尾超勝寺と呼ばれた。 1525年に江沼郡(能美郡とも)粟津保林(石川県小松市林町、林超勝寺)と江沼郡二ツ梨(石川県小松市二ツ梨町)に坊舎を移したという。 永禄年間(1558-1570)に越前国藤島の旧地に帰還した。
塔尾超勝寺については遺構が塔尾神社の近くの山中に現在も残っている。 林超勝寺については遺構は消滅したが、発掘調査は行われたという。
二ツ梨超勝寺については存在そのものに異論がある。二ツ梨村に坊舎を構えたのは超勝寺ではなく、同じく越前から逃れてきた照厳寺であるという。 ただし、それぞれの移転の年代を考慮すると、永禄年間(1558-1570)の超勝寺の越前国帰還後に、その旧地に1575年、照厳寺が移転してきたと考えることもできるという見解もある(『日本歴史地名大系』)。
(『日本歴史地名大系』ほか)
資料
- 石川県史蹟名勝調査報告[1]