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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

日牟礼八幡宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年12月15日 (土)

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日牟礼八幡宮拝殿


日牟礼八幡宮(ひむれ・はちまんぐう)は、滋賀県近江八幡市宮内町(近江国蒲生郡)にある八幡宮応神天皇の近江行在所跡という由緒がある。祭神は「誉田別尊、息長足姫尊、比売神」である(ウェブサイト)。県社別表神社

歴史

『日本書紀』によると、応神天皇は即位6年2月に近江行幸を行った。『日本書紀』にはそれ以上の記述はないが、社伝によると応神天皇は奥津島神社(現存)に参拝した。このとき、宇津野々辺というところに行在所を設けた。行在所跡に日輪の形を二つ見るという奇瑞があり創建。991年(正暦2年)、改めて宇佐八幡宮を八幡山上に勧請して「上の社」とし、麓(元の鎮座地あたり)に遥拝所を設けて「下の社」としたという。1590年(天正18年)、豊臣秀次が八幡山に八幡山城を築城するために、「上の社」を「下の社」に合祀した。「上の社」は、日杉山に遷座する予定であったが、豊臣秀次の自害により頓挫した。1876年(明治9年)郷社。1916年(大正5年)県社。1966年(昭和41年)別表神社。(ウェブサイト、『全国八幡神社名鑑』104)


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