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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

日興旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2016年4月17日 (日)

日興から転送)
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日興(にっこう)(1246-1333)は、日蓮宗僧侶日蓮高弟の六老僧の一人。日興門流(富士門流)の開祖。甲斐出身。日蓮没後に他の幹部と対立し、身延山を離れ、富士山麓を拠点とする。南条時光の支援を受けて大石寺北山本門寺を創建。伯耆阿闍梨白蓮阿闍梨常在院

1248年(宝治2年)、甲斐国巨摩郡大井庄鰍沢に出生。大井橘六(光重)の子。幼名は蓮華麿。岩本実相寺の播磨律師に師事、甲斐公と呼ばれる。1258年(正嘉2年)、『立正安国論』執筆のために実相寺に滞在した日蓮に師事して改宗。伯耆坊日興と名乗った。以後、日蓮に常に随従したという。


一覧

年譜

  • 1248年(宝治2年)3月8日:誕生。
  • 1258年(正嘉2年):日蓮に師事。
  • 1280年(弘安3年)4月:熱原の法難
  • 1282年(弘安5年)10月8日:六老僧の三位となる。
  • 1282年(弘安5年)10月13日:日蓮死去。
  • 1288年(正応1年)12月:兄弟弟子と離別し、身延山を下る。
  • 1289年(正応2年):富士の地に移る。
  • 1290年(正応3年):大石寺創建。
  • 1293年(永仁1年)2月:北山本門寺を創建し移る。
  • 1333年(元弘3年/正慶2年)2月7日:北山本門寺本坊で死去。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%97%A5%E8%88%88%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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