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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

本山寺院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年5月27日 (日)

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本山寺院

概要

各宗各派の拠点となった寺院を紹介する。ただし「本山」と呼ばれたかどうかには拘らず、中心的な役割を果たした寺院を「本山」として紹介するとともに、由緒ある寺格を持つ寺院についても紹介する。

呼称の意味通り考えるならば、末寺の存在が前提の制度で、法要や会議や伽藍整備などで末寺の僧侶や信者を動員招集し、さらに末寺の経営に干渉できるような、一定の宗務権限を持った寺院を本山と呼ぶべきである。現在は、本山と宗務組織が分離している宗派も多く、実権はなく名誉的な格式となっていることも多い。


歴史的にみると、各宗派に本山制度が整ったのは江戸時代であり、それは幕府の政策があってこそである。それ以前でも各宗派で、本山的役割を果たした寺院は多くあり、盛衰もある。また各宗派において「本山」の意味は異なっている。現在、浄土宗知恩院派のように非常に限られた寺院のみが「総本山」「大本山」「本山」を称している宗派もあれば、日蓮宗久遠寺派のように由緒ある寺院であれば、50以上の寺院が「本山」を名乗っている宗派もある。このような基準の幅広さを考慮すると、本山とは称していないものの門跡檀林触頭僧録司別院御坊のような由緒ある寺格についても、本山に並ぶ寺格と考えると概括的に捉えやすい。 以上のことから、以下の記事では、「本山」と称したかどうかに関わりなく、流派の中心的な役割を果たした寺院や、由緒ある寺格を与えられている寺院を紹介する。

系譜


無本寺


脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%9C%AC%E5%B1%B1%E5%AF%BA%E9%99%A2」より作成

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