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櫟谷七野神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年2月2日 (水)
櫟谷七野神社(いちいだに・ななの・じんじゃ)は京都府京都市上京区社横町にある神社。村社。高砂社、舟岡七々社、七ノ社、七野社ともいう。紫野斎院の跡地ともされる。
起源は諸説ある。 859年(貞観1年)、文徳天皇皇后藤原明子(染殿皇后)が安産祈願のために南都春日大社の分霊を祀った。のち安和年間、冷泉天皇の勅願で、伊勢、八幡、賀茂、松尾、平野、稲荷の六神を合祀して七社と称したともいう。 別に梶井宮の坊舎に天台守護の神として山王七社の神を祀ったという説もある。 あるいは紫野斎院の邸内社が起源ともいう。
神社名の「七野」は内野・北野・萩野・蓮台野・紫野・上野・平野の七つの地域の総社だったからだともいう。七野の数え方は諸説ある。「櫟谷」といえば、櫟谷神社が想起されるが関係は不明。
宇多天皇の皇后が天皇の寵愛を取り戻すために櫟谷七野神社に祈願。神託により春日大社の三笠山を模して砂山を築いたら願いが叶ったといい、白砂を盛った山を高砂山というようになった。
1511年(永正8年)、戦場となり荒廃。 織田信長が化野ケ原に遷して造営したが本能寺の変の後、豊臣秀吉が現在地に戻したともいう。1788年(天明8年)1月、天明の大火で焼失し、1790年(寛政2年)再建された。 (日本歴史地名大系)