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百済王神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年10月14日 (土)

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百済王神社(くだらおう・じんじゃ)は、大阪府枚方市中宮西之町(河内国交野郡)にある百済王を祀る神社。牛頭天王信仰の神社でもある。祭神は「百済国王・進雄命」(ウェブサイト)。河内・百済寺があった。交野離宮があったともいわれる。近世には百済王の宮百済王祠廟百済王霊社とも呼ばれた。渡来氏族関連旧跡。分社として禁野・百済王神社大垣内・百済王神社がある。禁野に百済王氏の末裔とされる三松家が居住していた。

現在の百済王神社では、祭神の「百済国王」が百済の王の誰なのか、または日本に帰化した百済王氏の誰なのかという特定は行っていないようである。また神格について百済との関係を偲びつつも産土神としての性格を強調している。

歴史

  • 749年(天平感宝1年/天平勝宝1年):百済王敬福(698-766)、東大寺大仏の鍍金のための黄金を献上し、従三位となる。
  • 750年(天平勝宝2年)5月:百済王敬福、宮内卿に任命され、「俄かに」河内守を加えられたという。この頃、百済王氏は摂津国百済郡から摂津国交野郡に拠点を移し、同時に摂津・百済寺が河内に移ったと考えられている。百済王神社の起源を示す史料はないが、百済王氏が祖霊を祀る祠廟として百済寺とともに建立したと推定される(ウェブサイト)。
  • 783年(延暦2年)10月14日:桓武天皇、交野離宮に行幸
  • 814年(弘仁5年):『凌雲集』の嵯峨天皇の詩題に「交野離宮」の語がみえる。
  • 平安時代中期:百済寺焼失(百済寺発掘調査成果)。百済寺に小堂を再建。百済寺はのち廃絶。
  • 1650年(慶安3年):百済王氏の末裔とされる三松家の邸内社として禁野・百済王神社を分霊し創建(日本歴史地名大系)。
  • 1679年(延宝7年):『河内鑑名所記』の交野郡の項目に「百済王の宮あり」「伽藍の旧跡有」との記述あり。
  • 1681年(天和1年):「寺社改帳」に「百済国王牛頭天王相殿一社」と記載。
  • 1713年(正徳3年):石鳥居を建立。「百済国王牛頭天王広前」と刻む。
  • 1733年(享保18年):『日本輿地通志畿内部・河内志』に「百済廃寺は中宮村に在り。百済王祠廟の域内に礎石なお存す」とある。
  • 1766年(明和3年)頃:旧拝殿を造営か。
  • 1801年(享和1年):『河内名所図会』に「百済王霊社、中宮村にあり。此所の産土神となす」とある。
  • 1822年(文政5年):この年の春日大社式年造替にあたり旧本殿が下賜され、本殿として移築される。
  • 2002年(平成14年):拝殿を新築。

境内

  • 本社:現在の本殿は春日大社の旧本殿で、いわゆる「春日移し」の社殿。
  • 相殿社:1872年(明治5年)に中宮村の各地から境内に遷座され、1913年(大正2年)12月に大神社を造替し合祀し、相殿社と改称した。1991年(平成3年)に社殿を造替。
  • 若宮八幡神社:祭神は品陀和気命。西方寺境内にあったが1872年(明治5年)3月に百済王神社境内に遷座。
  • 稲荷神社:祭神は白鷹稲荷大神・高倉稲荷大神。1991年(平成3年)造営。
  • 浮島神社:祭神は高オカミ神。中宮村出郷池之宮浮島に鎮座。1872年(明治5年)に境内に遷座。1880年(明治13年)再び池之宮に遷座。1969年(昭和44年)不審火で焼失し、百済王神社境内に祀られた(境内由緒書)。日本歴史地名大系では1911年(明治44年)に合祀とある。龍王山浮島神社。旧称は八大龍王社。
  • 旧拝殿

画像

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