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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

相模・六所神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年12月1日 (日)

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六所神社(ろくしょ・じんじゃ)は、神奈川県中郡大磯町(相模国余綾郡)にある神社。相模国総社。祭神は稲田姫命素盞嗚命大己貴命を合祀する。寒川神社などの祭神も合祀しているはずだが不詳。一宮寒川神社などの神輿が集う国府祭が有名。関東祈祷所か。郷社。旧称は柳田大神柳田野六所宮相模国府祭関連旧跡。(参考:同名神社六所神社

歴史

崇神天皇2年、出雲国から分霊して創建したと伝える。柳田大神と称していた。国府が余綾郡に移転すると相模国一宮寒川神社、二宮の川勾神社、三宮の比々多神社、四宮の前鳥神社、五宮に準する平塚八幡宮が合祀されて六所神社と称した。ただし、相模国府の所在は不詳で、移転があったかも明らかでない。

中世には鎌倉幕府の祈願所として重視された。1180年(治承4年)、駿河国に向かう途中の源頼朝が「相模国府六所宮」に着いたと『吾妻鏡』にある。1192年(建久3年)の勝長寿院で行われた鎌倉幕府による後白河法皇四十九日忌に「六所宮」の僧も出仕したという。また北条政子の実朝出産の時に頼朝が安産祈願した神社の中に「惣社 柳田」が記されている。 1505年(永正2年)、1544年(天文13年)には後北条氏により社殿が修復されている。1591年(天正19年)、徳川家康は朱印地50石を寄進した。 近世の別当は真言宗真勝寺(現在は東寺真言宗)で、その他、国府新宿の宝積院と蓮華院、国府本郷の宝前院、寺坂村の王福寺が供僧として奉仕した。

(国史大辞典、日本歴史地名大系)

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