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真宗大谷派広島別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2015年9月24日 (木)
真宗大谷派広島別院(しんしゅうおおたには・ひろしま・べついん)は、広島県広島市中区にある真宗大谷派の別院。寺号は明信院。
石山合戦に敗れた本願寺12代教如は、各地を転々としていたが一時期広島の毛利家のもとにいたという。このとき一心寺(一信寺、円証寺)に滞在したことからこの寺がのちの広島別院の母体となった。教如は帰京するとき、随従していた堅田慈敬寺の明信院教智に一心寺を託した。このため明信院を寺号とした。正保4年(1647)に本堂を再建。同年に教智が没し、東本願寺の掛所となった。常念寺、万休寺、因伝寺が役僧となり輪番を務めた。寛保元年(1741)本堂再建。昭和20年(1945)、広島原爆で焼失し、昭和26年(1951)に現在地に移転して木造平屋建てで再建された。旧地の大手町には常念寺が残り、境内に教智の墓がある。
参考文献
- 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部