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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

真宗大谷派新井別院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2015年11月6日 (金)

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真宗大谷派新井別院(しんしゅうおおたには・あらい・べついん)は、新潟県妙高市にある真宗大谷派別院

貞享年間(1684-1687)、新井願生寺と高田浄興寺の間で宗義論争が起きた。願生寺は磯部六寺の一つで、越後一円と信濃北部に末寺を持つ有力寺院だった。願生寺の国外追放で決着が付いたが、信越地域の門徒の動揺は大きかった。そこで事態を重く見た東本願寺16代の一如は、「異安心」の取り締まりのため、貞享2年(1685)願生寺跡地に新井掛所を設置した。新井御坊とも呼ばれる。たびたび再建を繰り返し、明治12年(1979)に仮堂建立。28年(1895)に現在の本堂が造営された。仮堂も食堂として現存している。恵信尼公堂がある。

当地の門徒が寛政10年(1798)の東本願寺再建に大きな功績があったことから、20代達如は再建を発願した19代乗如の黒衣の御影(黒衣御影)を下賜。これを記念してこの地域では農閑期となる豪雪期に「黒衣御影巡教」と称して各集落で法座が設けられている。

参考文献

  • 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%97%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E6%B4%BE%E6%96%B0%E4%BA%95%E5%88%A5%E9%99%A2」より作成

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