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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

穂落神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年4月13日 (土)

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穂落神社(ほおとし・じんじゃ)は伊勢国鈴鹿郡(三重県亀山市川崎町県)にあった神社。祭神は日本武尊保食神建貝児王官社「県主神社」の論社。村社。能褒野神社に合祀。通称は県大明神穂落大明神穂落明神

歴史

創建不詳。字の「県」や県大明神の呼称から川崎町周辺が古代の「英多郷(あがたごう)」の地と考えられ、遡れば県主(あがたぬし)が住んでいたと推定される。『古事記』には建貝児王は日本武尊の王子で、伊勢之別などの祖となったとある。『新撰姓氏録』に「県主」を日本武尊の末裔とあり、県主が祖神を祀ったのが神社の期限と考えられる。1759年(宝暦9年)の「神社記」が残る。1908年(明治41年)、能褒野神社に合祀された。

穂落神社の名の由来は不詳。三重県志摩市の佐美長神社伊雑宮所管社)も「穂落社」と呼ばれていた。伊勢・稲葉神社にも穂落大明神が祀られているという説もある。

1998年(平成10年)、椿大神社境内に県主神社が復興されている。

(日本歴史地名大系、椿大神社境内由緒書ほか)

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