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西本願寺学寮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年1月5日 (日)

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西本願寺学寮は京都西本願寺に併設された僧侶教育機関龍谷大学の前身。

目次

年表

  • 1639年(寛永16年):三条銀座年寄の野村屋宗句という人物が発願し、西本願寺13世良如が西本願寺内に学寮を設立。
  • 永照寺西吟が初代能化に就く。
  • 西侍町に移転。
  • 下間式部邸に移転。
  • 1653年(承応2年):承応の鬩牆を起こる。延寿寺月感が能化西吟を弾劾。
  • 1655年(明暦1年):幕府、学寮の廃止を命じる。
  • 1695年(元禄8年):学林を再興。講堂・衆寮18軒を整備。
  • 1797年(寛政9年):三業惑乱、始まる。
  • 1806年(文化3年):幕府が関係者を処分。三業惑乱決着。

組織

能化

生没年 在職年 略歴
除歴 准玄 1589-1648 1640-1647 出口御坊光善寺7世。1640年(寛永17年)初代能化となり、1647年(正保4年)に自坊に戻るまで指導を続けた。没後の1695年(元禄8年)孫の寂玄が異議を唱えたとして処分され、東本願寺末に転属したため、祖父の准玄も西本願寺能化の歴代から削除された。(略歴は光善寺#組織を参照)
1 西吟 1605-1663 1647-1655 初代能化とみなされている。自坊は小倉御坊永照寺。1605年(慶長10年)生。紀伊性応寺了尊に師事。東福寺で2年間禅宗を学ぶ。小倉で再び了尊に師事。1647年(正保4年)学寮の能化となる。同年、法制7カ条を定め、安居を実施。1652年(承応1年)法制12カ条を制定。1653年(承応2年)月感と論争となり、西本願寺と興正寺の対立に広がり、幕府から処分を受け、1655年(明暦1年)学寮の破却を命じられる(承応の閲牆)。1663年(寛文3年)8月15日死去。照黙。成規院と号す。
2 知空 1634-1718 1663- 自坊は光隆寺。1634年(寛永11年)生。西吟に師事。1660年(万治3年)西本願寺寺内町に光隆寺を創建。学林として再興し1663年(寛文3年)能化。1718年(享保3年)8月13日死去。85歳。性応。
3 若霖 1675-1735 近江正崇寺26世。1675年(延宝3年)生。1735年(享保20年)9月17日死去。61歳。汝岱。離塵院と号す。守口浄喜寺を兼務。
4 法霖 1693-1741 1736- 近江正崇寺27世。1693年(元禄6年)生。1736年(元文1年)能化。1741年(寛保1年)10月17日死去。49歳。慧琳。日渓。演暢院と号す。
5 義教 1694-1768 1755- 越中円満寺住職。1694年(元禄7年)生。1755年(宝暦5年)能化。1768年(明和5年)6月6日死去。75歳。大心海と号す。
6 功存 1720-1796 1769- 越前平乗寺住職。1720年(享保5年)生。1760年(宝暦10年)平乗寺住職。1769年(明和6年)能化。1796年(寛政8年)9月23日死去。77歳。義洞。子成。霊山。実明院と号す。
7 智洞 1736-1805 1797- 浄教寺住職。1736年(元文1年)生。1797年(寛政9年)能化。1805年(文化2年)10月22日死去。70歳。桃花坊と号す。
大学林8 足利義山 1824-1910 1898-1899
大学林9 赤松連城 1841-1919 1899-1900

勧学

1805年(文化2年)、勧学を複数人設置 浄土真宗本願寺派勧学寮も参照。

主座勧学

1883年(明治16年)から、勧学6人設置。トップを主座勧学とした。

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%A5%BF%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA%E5%AD%A6%E5%AF%AE」より作成

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