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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

香川・乃木神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年2月21日 (金)

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乃木神社(のぎ・じんじゃ)は、香川県善通寺市文京町にある、明治天皇に殉死した近代日本の代表的陸軍将軍乃木希典を祀る霊社香川県護国神社に隣接。善通寺市は、彼が初代師団長として赴任した第11師団司令部の所在地。四国乃木神社とも称す。

歴史

1912年、乃木希典、明治天皇大喪の日に自刃。 1914年2月頃、善通寺町の有志が乃木将軍遺蹟会を設立。神社創建を掲げるが実現しなかった。 1928年12月頃、陸軍関係者を中心に四国乃木会が発足。改めて神社創建が計画された。師団司令部裏の鶴ケ峰頂上に神社の他、護摩堂や合宿所の設置が計画された。鶴ケ峰には善通寺陸軍墓地がある。 しかし、1932年1月には乃木会館を歩兵第43連隊跡地(現在地)に建設する計画に変わった。ところが二転三転して神社を創建することとなったらしい。1935年6月、本殿が竣工したが、主唱者の死去などで募金が遅れ拝殿や社務所の建設が進まなかった。1936年1月には師団が組織的に募金に協力することになった。3月、四国乃木会から内務省に乃木神社創立申請書提出。1937年5月3日に創建にこぎつけたらしい。例祭は命日の9月13日ではなく、乃木希典が師団長に任命された10月3日とされた。 乃木希典個人への顕彰より、第11師団や善通寺町との関係が重視された結果とみられる。

乃木神社創建後まもなく隣接地に香川県護国神社が創建された。 戦後、昭和21年、讃岐先賢堂が高松市から遷座合祀された。

(野村美紀「善通寺における乃木神社・護国神社の建設」[1]ほか)

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