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摂津・毫摂寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年1月29日 (日)
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+ | ===近世近代=== | ||
+ | *1631年11月3日:御勘気御免[https://dl.ndl.go.jp/pid/950297/1/185] | ||
+ | *1819年3月23日:焼失[https://dl.ndl.go.jp/pid/3030444/1/374][https://dl.ndl.go.jp/pid/3030444/1/369] | ||
+ | *1908年(明治41年)1月:別格寺。[https://dl.ndl.go.jp/pid/822565/1/33] | ||
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file:摂津毫摂寺-01.jpeg|小浜宿南門 | file:摂津毫摂寺-01.jpeg|小浜宿南門 | ||
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file:摂津毫摂寺・小浜宿資料館模型-02.jpeg|小浜宿資料館展示模型 | file:摂津毫摂寺・小浜宿資料館模型-02.jpeg|小浜宿資料館展示模型 | ||
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+ | ==組織== | ||
+ | ===住職=== | ||
+ | *1乗専 | ||
+ | *2善入 | ||
+ | *善幸 | ||
+ | *善秀 | ||
+ | *善鎮 | ||
+ | *善慶 | ||
+ | *善秀 | ||
+ | *11某:次女亀姫が豊臣秀次の寵愛を受けたという伝説がある。 | ||
+ | *寂芸()<>:[https://dl.ndl.go.jp/pid/9538960/1/499] | ||
+ | *寂性()<>:寂芸の養子。[[松岡寺]]9世長慶の子。[https://dl.ndl.go.jp/pid/9538960/1/491] | ||
+ | [https://dl.ndl.go.jp/pid/9538960/1/525] | ||
+ | *17法広(1751?-1819):[[本照寺]]15世。 | ||
+ | ==資料== | ||
+ | *私心記[https://dl.ndl.go.jp/pid/9574026/1/266] | ||
+ | *宝塚市史 第7巻 (別編 1 文化遺産編)「毫摂寺本堂」[https://dl.ndl.go.jp/pid/9574622/1/43] | ||
+ | *宝塚市史 第2巻「小浜毫摂寺の建立」[https://dl.ndl.go.jp/pid/9573342/1/124] | ||
+ | *『宝塚の風土記ー民話と伝説・地名のおこり』[https://dl.ndl.go.jp/pid/9573945/1/75] | ||
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[[category:兵庫県]] | [[category:兵庫県]] |
2023年1月29日 (日) 時点における最新版
毫摂寺(ごうしょうじ)は、兵庫県宝塚市にある浄土真宗寺院。浄土真宗本願寺派。真宗出雲路派本山越前毫摂寺と由来を同じくし、京都・毫摂寺の後継寺院の一つ。小浜御坊。寺内町小浜(こはま)を形成。山号は出雲路山。(参考:同名寺院毫摂寺)
目次 |
歴史
起源
京都毫摂寺は丹波の乗専が創建。4世の善幸(越前毫摂寺の伝では5世)は伽藍が戦乱で焼失したため、次男の善鎮と共に越前に移ったが、長男の善秀は京都に残った。 まもなく善秀は摂津小浜(こはま)に移った。 文明6年(1474)6世の善鎮は蓮如に帰依し、8世善秀は天文5年(1536)に本堂を造営したと伝える。 ただ史料では文明15年(1483)に蓮如が有馬温泉に湯治に行った時、小浜や毫摂寺ではなく、すぐ近くの舞谷(米谷)に滞在しており、まだ寺院はなかったと考えられている。善秀、善鎮の名も重複しており、別人物なのか同一人物なのかよく分からない。善幸も善智と混同されて記録されることがあると言われ、伝承が錯綜している。
成立
『摂陽群談』によると明応年間(1492-1501)に小浜荘が開かれた時に毫摂寺善秀が関与しており、この時までには小浜に成立していたのだろう。順興寺実従が永禄3年(1560)に有馬温泉に行った時は毫摂寺で駕籠を用意しており、拠点になっていたことが分かる。 豊臣秀吉も有馬温泉に向かう途中で毫摂寺に滞在したという。 乗専筆の書を所蔵する。
(日本歴史地名大系)
近世近代
毫摂寺を兼務した本照寺15世の法広(1751-1819)の記念碑 |
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組織
住職
- 17法広(1751?-1819):本照寺15世。