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景愛寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2023年11月12日 (日) 時点における版
景愛寺(けいあいじ)は、京都にあった臨済宗寺院。京都尼五山第一位。
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歴史
建治3年(1277)、理宝の発願で、臨済宗尼僧の無外如大が創建。無外如大は無学祖元に師事。創建には高峰顕日も協力したという。多くの末寺を擁し、景愛寺派を形成した。 室町時代に廃絶。跡地に無学寺がある。江戸時代には寺はなくなったが、尼門跡の大聖寺と宝鏡寺が交代で景愛寺長老の職を務めたという。 寺宝は塔頭の宝慈院門跡に移されたという。
組織
住職
長老と称した。無学祖元が無外如大に与えた法衣を8世まで代々相承した。
- 無学祖元(1226-1286)<>:臨済宗の渡来僧。明州出身。仏光派の祖。円覚寺開山。仏光国師。円満常照国師。
- 1無外如大(1223-1298)<>:安達泰盛の娘。北条顕時の側室。無学祖元に師事。臨済宗初の正式な尼僧。松見寺開山ともされる。無着ともいう。1298年(永仁6年)11月28日死去。墓所は真如寺正脈院。
- 2月庭無忍()<>:
- 3如空()<>:
- 4孤峰恵秀()<>:
- 5東峰恵日()<>:
- 6徹関()<>:法衣相承せず。
- 7無般()<>:法衣相承せず。
- 8華林恵厳女王(生没年不詳)<>:光厳天皇皇女。夢窓疎石に師事した。宝鏡寺門跡1世。
- 9理秀?()<>:抱清院と号す。法衣相承せず。
- 10理遠()<>:李光院と号す。法衣相承せず。
- 11理高()<>:深恩院と号す。法衣相承せず。
- 12理秀()<>:清居院と号す。法衣相承せず。
- 13鏡室恵照()<>:建聖院。華林恵厳女王から法衣を相承し、以下、建聖院に相承される。
- 2玉巌悟心(?-1407)<>:西園寺実衡の孫娘。大聖寺門跡2世。
- 久巌理昌女王(1631-1656)<>:後水尾天皇皇女。宝鏡寺門跡20世。
- 義山理忠女王(1641-1689)<>:後水尾天皇皇女。宝鏡寺門跡21世。
- 徳巌理豊女王(1672-1745)<>:後西天皇皇女。宝鏡寺門跡22世。
- 俊巌永秀女王(1677-1725)<>:霊元天皇皇女。大聖寺門跡。
- 逸巌理秀女王(1725-1764)<>:中御門天皇皇女。宝鏡寺門跡23世。