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真宗大谷派大津別院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''真宗大谷派大津別院'''(しんしゅうおおたには・おおつ・べついん)は、滋賀県大津市にある[[真宗大谷派]]の[[真宗大谷派の別院寺院|別院]]。'''大津御堂'''、'''大津御坊'''
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'''真宗大谷派大津別院'''(しんしゅうおおたには・おおつ・べついん)は、滋賀県大津市中央(近江国滋賀郡)にある[[浄土真宗]]寺院。[[真宗大谷派]]の[[真宗大谷派の別院寺院|別院]]。'''大津御堂'''、'''大津御坊'''、'''桜町御坊'''と呼ばれた。
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慶長4年(1599)、[[教如]]が門徒衆に謀って、翌年6月には竣工した。土地は有力商人の寄進で確保した。慶長7年(1602)の[[徳川家康]]上洛のときには教如はここで迎えたという。慶安3年(1650)本堂再建。御影は教如が[[親鸞]]の遺骨を混ぜて描いたものという。
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*1599年:[[教如]]が門徒衆に創建を謀る。
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*1600年6月:遷仏開眼。教如の親修で営まれた。土地は、華階寺の末寺屋敷を門徒の寄進で購入して確保した。中心となった門徒は扇屋道順(矢島藤五郎か)、奈良屋道覚、納屋法善、長浜屋平左衛門らの有力商人だった。御影は教如が[[親鸞]]の遺骨を混ぜて描いたものという。
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*1602年:[[徳川家康]]上洛のときには教如はここで迎えたという。
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*1617年:直参講、鎌倉時代の梵鐘を購入して寄進。
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*1650年:本堂再建。
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*1662年:地震で書院倒壊
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*1670年:書院再建
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*1772年:大津町の所轄が、京都町奉行から大津代官所に移管されたが、大津御坊は引き続き京都町奉行の管轄となった。
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(『日本歴史地名大系』、2012『別院探訪』)
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==子院==
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いずれも現存しないようだ。
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*敬念寺
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*光触寺
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== 参考文献 ==
 
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*木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部
 
[[Category:滋賀県]]
[[Category:滋賀県]]

2025年5月10日 (土) 時点における版

真宗大谷派大津別院(しんしゅうおおたには・おおつ・べついん)は、滋賀県大津市中央(近江国滋賀郡)にある浄土真宗寺院。真宗大谷派別院大津御堂大津御坊桜町御坊と呼ばれた。

  • 1599年:教如が門徒衆に創建を謀る。
  • 1600年6月:遷仏開眼。教如の親修で営まれた。土地は、華階寺の末寺屋敷を門徒の寄進で購入して確保した。中心となった門徒は扇屋道順(矢島藤五郎か)、奈良屋道覚、納屋法善、長浜屋平左衛門らの有力商人だった。御影は教如が親鸞の遺骨を混ぜて描いたものという。
  • 1602年:徳川家康上洛のときには教如はここで迎えたという。
  • 1617年:直参講、鎌倉時代の梵鐘を購入して寄進。
  • 1650年:本堂再建。
  • 1662年:地震で書院倒壊
  • 1670年:書院再建
  • 1772年:大津町の所轄が、京都町奉行から大津代官所に移管されたが、大津御坊は引き続き京都町奉行の管轄となった。

(『日本歴史地名大系』、2012『別院探訪』)

子院

いずれも現存しないようだ。

  • 敬念寺
  • 光触寺
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%97%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E6%B4%BE%E5%A4%A7%E6%B4%A5%E5%88%A5%E9%99%A2」より作成

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