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開封

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''開封'''(かいふう)は、河南省開封市にある、[[北宋]]の都だった古代都市。
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長安と同じく、宮城が南面し、市街地の東部に太廟、西部に社稷がある。
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==西部==
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*[[開封・社稷]] 太廟遷座と同時期に五代後周の太祖の代に創建。廃絶。
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*[[太平興国寺]] 宋の太宗が再興。インド僧が訳経に従事。日本僧も多数滞在。廃絶。
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*[[開封・太廟]] 五代後周太祖の広順3年(953)に洛陽から遷座。設備はそのまま宋代に引き継がれたとみられる。廃絶。
*[[大相国寺]] 日本[[相国寺]]の支援で復興。
*[[大相国寺]] 日本[[相国寺]]の支援で復興。
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*[[開封・啓聖院]] 日本の奝然がうでん王が造った釈迦如来像(現在の嵯峨清涼寺本尊)を得たところ。
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*[[開封・景霊宮]] 皇帝歴代を祀る道教施設。
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*[[開封・武成王廟]]
*[[開宝寺]] '''鉄塔'''と呼ばれる塔が現存。
*[[開宝寺]] '''鉄塔'''と呼ばれる塔が現存。
*[[天清寺]] '''繁塔'''と呼ばれる塔が現存。
*[[天清寺]] '''繁塔'''と呼ばれる塔が現存。
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*[[張良墓]] 秦末から漢初に[[劉邦]]に仕えた軍師張良の墓。
*[[張良墓]] 秦末から漢初に[[劉邦]]に仕えた軍師張良の墓。
*[[開封・岳飛廟]] [[岳飛]]の霊廟。岳飛が金軍を破った場所にある。
*[[開封・岳飛廟]] [[岳飛]]の霊廟。岳飛が金軍を破った場所にある。
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*[[太平興国寺]] 宋の太宗が再興。インド僧が訳経に従事。日本僧も多数滞在。廃絶。
 
*[[開封のシナゴーグ]] 開封には宋代から19世紀末まで他のユダヤ社会から独立した、小規模なユダヤ人のコミュニティがあったとされる。
*[[開封のシナゴーグ]] 開封には宋代から19世紀末まで他のユダヤ社会から独立した、小規模なユダヤ人のコミュニティがあったとされる。
*[[延慶観]] [[全真教]]開祖[[王重陽]]の霊廟がある道観。彼は開封で死去した。
*[[延慶観]] [[全真教]]開祖[[王重陽]]の霊廟がある道観。彼は開封で死去した。
[[category:中華人民共和国河南省]]
[[category:中華人民共和国河南省]]

2015年4月7日 (火) 時点における版

開封(かいふう)は、河南省開封市にある、北宋の都だった古代都市。

長安と同じく、宮城が南面し、市街地の東部に太廟、西部に社稷がある。

西部

  • 開封・社稷 太廟遷座と同時期に五代後周の太祖の代に創建。廃絶。
  • 太平興国寺 宋の太宗が再興。インド僧が訳経に従事。日本僧も多数滞在。廃絶。

東部

  • 開封・太廟 五代後周太祖の広順3年(953)に洛陽から遷座。設備はそのまま宋代に引き継がれたとみられる。廃絶。
  • 大相国寺 日本相国寺の支援で復興。
  • 開封・啓聖院 日本の奝然がうでん王が造った釈迦如来像(現在の嵯峨清涼寺本尊)を得たところ。



http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%96%8B%E5%B0%81」より作成

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