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真宗大谷派高須別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''真宗大谷派高須別院'''(しんしゅうおおたには・たかす・べついん)は、岐阜県海津市にある[[真宗大谷派]]の[[真宗大谷派の別院寺院|別院]]。寺号を'''二恩寺'''(におんじ)という。 | '''真宗大谷派高須別院'''(しんしゅうおおたには・たかす・べついん)は、岐阜県海津市にある[[真宗大谷派]]の[[真宗大谷派の別院寺院|別院]]。寺号を'''二恩寺'''(におんじ)という。 | ||
- | [[浄土真宗]]の信仰が篤かった高須藩主10代'''松平義建'''は、嘉永3年(1850)海津郡高須村に寺地を寄進し、[[真宗大谷派桑名別院|桑名別院]]の掛所として'''二恩寺'''を創建した。'''高須御坊'''とも呼ばれた。明治11年(1878)6月、昇格して'''高須別院'''となった。24年(1891)の濃尾地震で壊滅的な被害を受けた。復興準備が進められたが、29年の大水害で集めた用材が流出した。大正15年(1926)にようやく本堂が復興した。復興期間中、憂いた女性門徒が漆で髪を固めて作った立像を作り、毛仏として祀られている。 | + | [[親鸞]]御影を多数描くなど[[浄土真宗]]の信仰が篤かった高須藩主10代'''松平義建'''は、嘉永3年(1850)海津郡高須村に寺地を寄進し、[[真宗大谷派桑名別院|桑名別院]]の掛所として'''二恩寺'''を創建した。'''高須御坊'''とも呼ばれた。明治11年(1878)6月、昇格して'''高須別院'''となった。24年(1891)の濃尾地震で壊滅的な被害を受けた。復興準備が進められたが、29年の大水害で集めた用材が流出した。大正15年(1926)にようやく本堂が復興した。復興期間中、憂いた女性門徒が漆で髪を固めて作った立像を作り、毛仏として祀られている。 |
== 参考文献 == | == 参考文献 == |
2015年9月22日 (火) 時点における版
真宗大谷派高須別院(しんしゅうおおたには・たかす・べついん)は、岐阜県海津市にある真宗大谷派の別院。寺号を二恩寺(におんじ)という。
親鸞御影を多数描くなど浄土真宗の信仰が篤かった高須藩主10代松平義建は、嘉永3年(1850)海津郡高須村に寺地を寄進し、桑名別院の掛所として二恩寺を創建した。高須御坊とも呼ばれた。明治11年(1878)6月、昇格して高須別院となった。24年(1891)の濃尾地震で壊滅的な被害を受けた。復興準備が進められたが、29年の大水害で集めた用材が流出した。大正15年(1926)にようやく本堂が復興した。復興期間中、憂いた女性門徒が漆で髪を固めて作った立像を作り、毛仏として祀られている。
参考文献
- 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部