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淡路鮎原・河上神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''河上神社'''(かわかみ・じんじゃ)は、兵庫県洲本市五色町鮎原南谷(淡路国津名郡)にある神社。主祭神は河上大神・[[菅原道真]]。[[官社]]論社。[[県社]]。通称・旧称は'''鮎原河上天満宮'''、'''河上天満宮'''、'''鮎原天満宮'''、'''鮎原天神''' | + | '''河上神社'''(かわかみ・じんじゃ)は、兵庫県洲本市五色町鮎原南谷(淡路国津名郡)にある神社。主祭神は河上大神・[[菅原道真]]。[[官社]]論社。[[県社]]。通称・旧称は'''鮎原河上天満宮'''、'''河上天満宮'''、'''鮎原天満宮'''、'''鮎原天神'''。近年は'''河上神社天満宮'''と称す。(参考:同名神社[[河上神社]]) |
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江戸時代には河上神社の所在は失われており、諸説あった。『常磐草』や『神祇志料』は鮎原天満宮を比定。鮎原天満宮は延長年間の創建とも伝える。1697年(元禄10年)に社殿再建。明治以降、鮎原天満宮は式内社河上神社であるとの説が強く唱えられ、1888年(明治21年)、祭神を河上大神とし、1893年(明治26年)、河上神社と改称した。1894年(明治27年)6月、県社となる(神道史大辞典)。 | 江戸時代には河上神社の所在は失われており、諸説あった。『常磐草』や『神祇志料』は鮎原天満宮を比定。鮎原天満宮は延長年間の創建とも伝える。1697年(元禄10年)に社殿再建。明治以降、鮎原天満宮は式内社河上神社であるとの説が強く唱えられ、1888年(明治21年)、祭神を河上大神とし、1893年(明治26年)、河上神社と改称した。1894年(明治27年)6月、県社となる(神道史大辞典)。 | ||
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+ | 兵庫県神社庁ウェブサイトによると主祭神を「高オカミ神」とし、配祀神を「菅原大神」とする。 | ||
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2019年4月24日 (水) 時点における版
河上神社(かわかみ・じんじゃ)は、兵庫県洲本市五色町鮎原南谷(淡路国津名郡)にある神社。主祭神は河上大神・菅原道真。官社論社。県社。通称・旧称は鮎原河上天満宮、河上天満宮、鮎原天満宮、鮎原天神。近年は河上神社天満宮と称す。(参考:同名神社河上神社)
歴史
創建不詳。『延喜式』で小社とされ「河上神社」と記す。『朝野群載』所収の1080年(承暦4年)「神祇官奏」によると、同年6月、白河天皇の病気が諸神の祟りとの卜があり、淡路国の「河上神」に中祓が課せられた。
江戸時代には河上神社の所在は失われており、諸説あった。『常磐草』や『神祇志料』は鮎原天満宮を比定。鮎原天満宮は延長年間の創建とも伝える。1697年(元禄10年)に社殿再建。明治以降、鮎原天満宮は式内社河上神社であるとの説が強く唱えられ、1888年(明治21年)、祭神を河上大神とし、1893年(明治26年)、河上神社と改称した。1894年(明治27年)6月、県社となる(神道史大辞典)。
兵庫県神社庁ウェブサイトによると主祭神を「高オカミ神」とし、配祀神を「菅原大神」とする。
(日本歴史地名大系)