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鎌倉・安養院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2015年6月9日 (火)
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のち正慶2年(1333、元弘3年)、兵火で焼失した長楽寺を、善導寺に合併し、開基である北条政子の戒名を取って、安養院と改称したという。 | のち正慶2年(1333、元弘3年)、兵火で焼失した長楽寺を、善導寺に合併し、開基である北条政子の戒名を取って、安養院と改称したという。 | ||
時代は下り、江戸時代の延宝年間(元年とも8年ともいう)、安養院は火災で焼失したため、比企谷にあった田代寺を移して合併して再建したという。 | 時代は下り、江戸時代の延宝年間(元年とも8年ともいう)、安養院は火災で焼失したため、比企谷にあった田代寺を移して合併して再建したという。 | ||
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尊観良弁の墓、北条政子の墓がある。 | 尊観良弁の墓、北条政子の墓がある。 | ||
(金岡秀友、昭和56『古寺名刹大辞典』) | (金岡秀友、昭和56『古寺名刹大辞典』) | ||
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2015年6月9日 (火) 時点における最新版
安養院(あんよういん)は、神奈川県鎌倉市にある、阿弥陀信仰と観音信仰の浄土宗寺院。坂東三十三所霊場の第3番札所。浄土宗知恩院派に所属し、本尊は阿弥陀如来で、札所本尊の千手観音をともに祀る。祇園山田代寺、田代観音ともいう。(参考:同名寺院安養院)
泉涌寺流の浄土・律・真言を兼学した願行が開いた鎌倉・長楽寺、浄土宗鎮西流名越派の祖の尊観良弁が開いた鎌倉・善導寺、比企谷にあった田代寺が合併した寺院とされるが、別説もある。
願行(憲静)は、源頼朝の菩提を弔うため、北条政子を願主として長楽寺を創建。元は願行が常陸国阿弥陀山(現在地不明)にいたときに頼朝の亡霊が現れたのがきっかけで、政子に説いて、稲瀬川で供養し、嘉禄元年(1225)、長楽寺を建てたという。
のち正慶2年(1333、元弘3年)、兵火で焼失した長楽寺を、善導寺に合併し、開基である北条政子の戒名を取って、安養院と改称したという。 時代は下り、江戸時代の延宝年間(元年とも8年ともいう)、安養院は火災で焼失したため、比企谷にあった田代寺を移して合併して再建したという。
坂東霊場の中で、現在浄土宗を掲げるのは、鎌倉・長谷寺と合わせて2寺のみである。
尊観良弁の墓、北条政子の墓がある。
(金岡秀友、昭和56『古寺名刹大辞典』)