ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
金鍾寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2016年6月25日 (土)
(版間での差分)
1行: | 1行: | ||
- | '''金鍾寺''' | + | '''金鍾寺'''(こんしゅじ、きんしょうじ)は、大和国[[平城京]]郊外にあった[[古代寺院]]。[[東大寺]]の前身寺院の一つで、現在の[[東大寺法華堂]]のあたりにあったと考えられている。[[聖武天皇]]が夭折した皇子の基親王を弔うために創建。728年(神亀5年)、[[良弁]]が住僧9人の一人に選ばれている。現在、法華堂の本尊の背面に祀られている[[執金剛神]]立像は、良弁の念持仏で金鍾寺時代のものと言われる。[[東大寺関連旧跡]]も参照。'''金鍾山寺'''、'''金鍾山房'''、'''金鐘寺'''とも。 |
[[category:奈良県]] | [[category:奈良県]] |
2016年6月25日 (土) 時点における最新版
金鍾寺(こんしゅじ、きんしょうじ)は、大和国平城京郊外にあった古代寺院。東大寺の前身寺院の一つで、現在の東大寺法華堂のあたりにあったと考えられている。聖武天皇が夭折した皇子の基親王を弔うために創建。728年(神亀5年)、良弁が住僧9人の一人に選ばれている。現在、法華堂の本尊の背面に祀られている執金剛神立像は、良弁の念持仏で金鍾寺時代のものと言われる。東大寺関連旧跡も参照。金鍾山寺、金鍾山房、金鐘寺とも。