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比叡山青龍寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年7月25日 (火)
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+ | 大黒天出現の地であるため黒谷と名付けられたとされる。 | ||
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+ | 織田信長焼き討ち前の境内の様子はよく分からないが、文殊堂、大黒堂、法然坊があったという。 | ||
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+ | (日本歴史地名大系ほか) | ||
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2017年7月25日 (火) 時点における最新版
青龍寺 せいりゅうじ | |
概要 | 比叡山を構成する寺院の一つ。法然旧跡。 |
奉斎 | |
所在地 | 滋賀県大津市坂本本町4220 |
所在地(旧国郡) | 近江国滋賀郡 |
所属(現在) | |
格式など | |
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目次 |
概要
青龍寺(せいりゅうじ)は、滋賀県大津市の比叡山延暦寺西塔北谷にある法然旧跡の山内寺院。法然上人二十五霊場特別霊場。比叡山五別所の一つ。黒谷流円頓戒の発祥地。天台宗延暦寺派の寺院であるが、浄土宗知恩院が管理している。黒谷青龍寺。浄土宗では「黒谷」の通称を持つ金戒光明寺に対して元黒谷と呼ぶ。(参考:同名寺院青龍寺 (同名))
大黒天出現の地であるため黒谷と名付けられたとされる。
良源が創建したという(山門堂舎由緒記)。
叡空が入り、円頓戒の復興をはかり、黒谷流と呼ばれた。久安6年(1150)、法然が入り、叡空に師事。法然は18歳から43歳までここを拠点にしたという。応仁の乱の後、焼失した真如堂の本尊が一時移された。文明15年(1483)、41歳の真盛が入る。
織田信長焼き討ち前の境内の様子はよく分からないが、文殊堂、大黒堂、法然坊があったという。 現在の本堂には阿弥陀如来、文殊菩薩、浄名居士、法然を祀る。また別に大黒天を祀る。
(日本歴史地名大系ほか)
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参考文献