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河内・百済寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年10月14日 (土)
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+ | (参考:同名寺院[[百済寺_(同名)]]) | ||
+ | ==歴史== | ||
+ | *749年(天平感宝1年/天平勝宝1年):百済王敬福(698-766)、[[東大寺]]大仏の鍍金のための黄金を献上し、従三位となる。 | ||
+ | *750年(天平勝宝2年)5月:百済王敬福、宮内卿に任命され、「俄かに」河内守を加えられたという。この頃、百済王氏は摂津国百済郡から摂津国交野郡に拠点を移し、同時に[[摂津・百済寺]]が河内に移ったと考えられている。 | ||
+ | *783年(延暦2年)10月14日:[[桓武天皇]]、交野離宮に行幸 | ||
+ | *783年(延暦2年)10月16日:朝廷、百済寺に近江と播磨から5000束ずつ施入(続日本紀)。 | ||
+ | *793年(延暦12年)5月11日:銭30万および長門・阿波から1000束ずつ施入(類聚国史)。 | ||
+ | *798年(延暦17年)1月11日:河内国の稲2000束施入(類聚国史)。 | ||
+ | *814年(弘仁5年):『凌雲集』の[[嵯峨天皇]]の詩題に「交野離宮」の語がみえる。 | ||
+ | *814年(弘仁5年)2月27日:綿100屯を施入(類聚国史)。 | ||
+ | *816年(弘仁7年)2月20日:綿100屯を施入(類聚国史)。 | ||
+ | *817年(弘仁8年)2月20日:綿100斤を施入(類聚国史)。 | ||
+ | *平安時代中期:焼失(発掘調査成果)。小堂を再建。 | ||
+ | *1208年(承元2年)9月7日:[[後鳥羽上皇]]が御幸して「交野御堂」を供養。交野御堂を百済寺とする説がある。 | ||
+ | *1932年(昭和7年):発掘調査 | ||
+ | *1941年(昭和16年):国史跡に指定。 | ||
+ | *1952年(昭和27年):国特別史跡に指定。 | ||
+ | *1965年(昭和40年):発掘調査 | ||
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2023年10月14日 (土) 時点における最新版
百済寺は、河内国交野郡(大阪府枚方市中宮西之町)にあった古代寺院。難波京の摂津・百済寺から移転。聖徳太子建立四十六寺の一つ。交野離宮との説がある。薬師寺式伽藍配置。廃絶。百済王神社が現存。渡来氏族関連旧跡。北側には百済王氏の居館であった可能性のある碁盤の目状の禁野本町遺跡がある。 (参考:同名寺院百済寺_(同名))
歴史
- 749年(天平感宝1年/天平勝宝1年):百済王敬福(698-766)、東大寺大仏の鍍金のための黄金を献上し、従三位となる。
- 750年(天平勝宝2年)5月:百済王敬福、宮内卿に任命され、「俄かに」河内守を加えられたという。この頃、百済王氏は摂津国百済郡から摂津国交野郡に拠点を移し、同時に摂津・百済寺が河内に移ったと考えられている。
- 783年(延暦2年)10月14日:桓武天皇、交野離宮に行幸
- 783年(延暦2年)10月16日:朝廷、百済寺に近江と播磨から5000束ずつ施入(続日本紀)。
- 793年(延暦12年)5月11日:銭30万および長門・阿波から1000束ずつ施入(類聚国史)。
- 798年(延暦17年)1月11日:河内国の稲2000束施入(類聚国史)。
- 814年(弘仁5年):『凌雲集』の嵯峨天皇の詩題に「交野離宮」の語がみえる。
- 814年(弘仁5年)2月27日:綿100屯を施入(類聚国史)。
- 816年(弘仁7年)2月20日:綿100屯を施入(類聚国史)。
- 817年(弘仁8年)2月20日:綿100斤を施入(類聚国史)。
- 平安時代中期:焼失(発掘調査成果)。小堂を再建。
- 1208年(承元2年)9月7日:後鳥羽上皇が御幸して「交野御堂」を供養。交野御堂を百済寺とする説がある。
- 1932年(昭和7年):発掘調査
- 1941年(昭和16年):国史跡に指定。
- 1952年(昭和27年):国特別史跡に指定。
- 1965年(昭和40年):発掘調査
- 1967年(昭和42年):史跡公園として整備
- 2013年(平成25年):調査。再整備