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薩摩・松原神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年3月5日 (火)
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+ | 1869年(明治2年)3月25日、鹿児島藩知政所が「仏家の作法」から「神国の礼式」に改めることを達し、同年12月、菩提寺跡に当主「御霊社」6社創立を命じる。その一つに「松原神社 南林寺大中公御霊社」とある(『照国神社誌』)。 | ||
1870年(明治3年)、南林寺跡に松原神社を創建。 | 1870年(明治3年)、南林寺跡に松原神社を創建。 | ||
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1876年(明治9年)1月7日、社殿炎上。神像も焼失した。 | 1876年(明治9年)1月7日、社殿炎上。神像も焼失した。 | ||
島津斉興が奉納した画像を御神体として社殿を再建した。 | 島津斉興が奉納した画像を御神体として社殿を再建した。 | ||
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(日本歴史地名大系、神社ウェブサイト、鹿児島県神社庁ウェブサイト) | (日本歴史地名大系、神社ウェブサイト、鹿児島県神社庁ウェブサイト) | ||
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2024年3月5日 (火) 時点における最新版
松原神社(まつばら・じんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市松原町にある島津家ゆかりの霊社。祭神は戦国武将として活躍した15代島津貴久(1514-1571)(靖国崇勲彦之命)。相殿神は天之御中主之神・高御産巣日之神・神産巣日之神・天照皇大神・豊受大御神。県社。領主奉斎神社。(参考:同名神社松原神社)
歴史
1869年(明治2年)、南林寺が廃絶。南林寺は島津貴久の菩提寺の曹洞宗寺院で、貴久の影像を祀った御影殿があった。 1869年(明治2年)3月25日、鹿児島藩知政所が「仏家の作法」から「神国の礼式」に改めることを達し、同年12月、菩提寺跡に当主「御霊社」6社創立を命じる。その一つに「松原神社 南林寺大中公御霊社」とある(『照国神社誌』)。 1870年(明治3年)、南林寺跡に松原神社を創建。
1874年(明治7年)5月4日、鹿児島県中教院を設置。11月12日開院。相殿神は中教院の祭神を引き継ぐものという。
1876年(明治9年)1月7日、社殿炎上。神像も焼失した。 島津斉興が奉納した画像を御神体として社殿を再建した。 1919年(大正8年)、南林寺墓地が一部を除いて整理された。 1920年(大正9年)、島津貴久350年祭にあたり社殿を造営。10月郷社から県社に昇格。同年、島津貴久に従三位を贈位。 1945年(昭和20年)戦災で被災。仮殿遷座。1977年(昭和52年)2月社殿再建。
境内社として稲荷神社、厳島神社、恵方社、大山神社、清水神社、歯之神、市場神社がある。歯之神は平田純貞を祭神とする。
分社として貴久位牌所の曹洞宗永泰寺跡に1870年(明治3年)7月に創建の無格社志布志・松原神社、貴久位牌所の曹洞宗円通寺跡に創建の無格社大口・松原神社、廃仏を逃れるため薬師堂を衣替えした無格社菱刈・松原神社、1876年(明治9年)創建の徳之島・松原神社(1910年(明治43年)徳之島・高千穂神社に合祀)がある。
(日本歴史地名大系、神社ウェブサイト、鹿児島県神社庁ウェブサイト)