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安楽光院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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file:CDF2D237-31BE-4AD1-AAE9-54D2192BF033.jpeg|現在の光照院門跡 | file:CDF2D237-31BE-4AD1-AAE9-54D2192BF033.jpeg|現在の光照院門跡 | ||
file:泉涌寺善能寺・山門.JPG|現在の善能寺(泉涌寺子院) | file:泉涌寺善能寺・山門.JPG|現在の善能寺(泉涌寺子院) |
2023年11月2日 (木) 時点における版
安楽光院(あんらくこういん)は京都上京にあった皇室ゆかりの天台宗系・浄土宗系寺院。持明院の名でも知られ、北朝系の御所持明院殿の付属仏堂だった。如導派の有力寺院。持明院統の菩提寺。現在の光照院のあたりにあり、のち現在の善能寺(泉涌寺子院)の地に移った。十二光院の一つか。
藤原道長孫の藤原基頼(?-1122)がこの地に自邸を設け、天治年間にその子の通基が仏堂を建てたのが起源。あるいは基頼が仏堂を建て通基が寺院にしたともいう。基頼を祖とする持明院家の名の由来となった。 後高倉院仙洞御所持明院殿となり持明院統の拠点となった。 1353年(正平8年/文和2年)に持明院殿は焼失。安楽光院だけ残った。 のち泉涌寺内に移転。 向かい側の泉涌寺来迎院に合併して廃絶。その後、跡地に善能寺が移転してきた。
深草に移されて安楽行院となった説は誤りか。