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鳳来寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*建久年間:安達盛長、源頼朝の命で[[三河七御堂]]を建立し、その一つが鳳来寺阿弥陀堂(常行堂)だという。 | *建久年間:安達盛長、源頼朝の命で[[三河七御堂]]を建立し、その一つが鳳来寺阿弥陀堂(常行堂)だという。 |
2022年3月30日 (水) 時点における版
鳳来寺(ほうらいじ)は、愛知県新城市門谷鳳来寺(三河国設楽郡)にある薬師信仰の寺院。元は天台宗と真言宗の両宗があった。現在は真言系の本山級寺院。真言宗五智教団の大本山。鳳来山東照宮がある。勝岳院と号す。峰薬師ともいう。山号は煙巌山。
目次 |
歴史
- 570年4月7日:利修、誕生。
- 611年:利修、鳳来寺の七本杉の一つを用いて薬師如来を刻む。
- 655年:利修、百済に渡り修行。帰国時には風に乗って帰ってきたという。
- 698年:文武天皇の病気平癒のため、勅使公宣が参詣し祈願。利修が鳳凰に乗って皇宮に赴き、祈祷により天皇の病気を治す。天皇は寺院創建を約束する。
- 703年:利修、文武天皇の勅願で鳳来寺を創建。
- 奈良時代:聖武天皇の病気を治し、光明皇后筆「鳳来寺」額を下賜される。
- 878年:利修、309歳で死去。この時、利修に従っていた三鬼の首を本堂の下を収めたという。三鬼の霊を慰めるために田楽が始まったという。
- 1163年:常行三昧が始まるという。
- 1160年:源頼朝が逃れる。その寄進で伽藍整備したという。
- 1174年:源義経、陸奥平泉に下る途中、浄瑠璃姫と恋仲になったという。
- 1185年:源頼朝、梶原景季を奉行として三重塔や石段を整備寄進。
- 建久年間:安達盛長、源頼朝の命で三河七御堂を建立し、その一つが鳳来寺阿弥陀堂(常行堂)だという。
- 1193年:設楽資時、鳳来寺に大般若経を奉納。
- 1199年:設楽助時、鳳来寺に大般若経を奉納。
- 1225年:天台宗瀧山寺本堂落慶法要に鳳来寺の僧侶が出仕。
- 1311年:真言宗の遠江大福寺御堂供養に鳳来寺の僧侶が出仕。
- 1345年:鳳来寺の鐘、鋳造。
- 1489年:この頃天台宗青蓮院門跡の末寺となっていた。
- 1542年12月26日:徳川家康誕生。両親の松平広忠と伝通院殿が鳳来寺に祈願して産まれたという。
- 1573年:武田信玄が鳳来寺に立ち寄る。
- 1580年:徳川家康、十二条条目を達す。
- 1590年、300石に削減
- 1602年、徳川家康、740石に加増。
- 近世:無本寺
- 1616年4月17日:徳川家康死去。
- 1620年12月26日:焼失。
- 1625年:松平忠明・菅沼定房らにより再建。
- 1640年8月15日:春日局、鳳来寺参詣。徳川家光の子供誕生祈願のためという。
- 1648年:徳川家光、日光山参詣の時、縁起を読み鳳来寺祈願により家康が誕生したことを知り、鳳来寺の伽藍造営を発願。
- 1651年:伽藍造営竣工。
- 1651年9月17日、鳳来山東照宮鎮座。
- 1656年:東照宮領寄進。この時点で合計1200石
- 1660年:鳳来寺領1350石。
- 1850年:出水により山内、門前町の家屋が流失。
- 1863年、焼失。
- 明治初年:神仏分離で鳳来山東照宮が鳳来寺から独立。
- 明治8年5月20日:本堂焼失。
- 明治38年:京都法輪寺の服部賢成が鳳来寺医王院住職となる。
- 明治43年:田楽が復興。
- 明治39年、天台宗真言宗の各子院を真言宗高野派に統一。
- 大正3年10月25日:本堂、寺務所焼失。
- 大正8年:上地された国有林1600町歩の払下を実現。
- 昭和4年:田口鉄道開通。
- 昭和10年:鳳来寺、鳳来寺女子高等学園を開設。
- 昭和21年:独立して真言宗五智教団を設立(『仏教宗派辞典』)。昭和26年とも。
- 昭和29年:真言宗五智教団の法人認証登記(『仏教宗派辞典』)。
- 昭和34年9月26日、伊勢湾台風で倒木被害。
- 昭和37年、鏡岩下遺跡発見。
- 昭和41年、鏡岩下遺跡を発掘調査。
- 昭和46年:鳳来寺パークウェイ開通。
- 昭和49年、本堂再建
- 平成15年:開山1300年祭。
伽藍
山上
- 本堂:1620年焼失。1625年再建。明治8年焼失。再建。大正3年焼失。仮本堂建立。昭和49年再建。標高520m(460m?)にある。
- 大師堂:本堂の裏にある。元は本堂の東側にあった。祖師堂。
- 元三大師堂:廃絶。
- 開山堂:本堂の裏にある。利修仙人堂??
- 常行堂:本尊は阿弥陀如来。安達盛長の建立した三河七御堂の一つという。廃絶。跡地に鐘楼がある。阿弥陀堂。
- 三重塔:源頼朝が建立。1863年焼失し廃絶。
- 鐘楼:常行堂跡にある。昭和34年新しく鋳造。
- 鏡岩:高さ70m、幅250mの巨大な岩壁。
- 鏡堂:明治8年焼失。廃絶。
- 経塚:12世紀中頃〜末期の5基。鏡岩下遺跡
- 墓地
- 胎内潜り
- 龍の爪痕
- 鳳来山東照宮
- 御供所:廃絶
- 五郎塚:
- 四国霊場
- 妙法の滝
- 鎮守社:祭神は白山権現・熊野権現・山王権現。利修の弟子の心月坊祐仙が創建。1863年焼失し、薬師堂に合祀されていた。1874年、鳳来山東照宮に合祀された。
- 毘沙門堂:廃絶
- 護摩堂:廃絶
奥之院ほか
- 利修像:岩窟
- 白山大権現
- 勝岳不動明王:
- 奥之院
- 天狗岩
- 巫女石
- 高座石
- 鬼の味噌蔵・酒蔵:岩窟
- 高徳不動
門前町
- 三ノ門:廃絶。
- 奥平仙千代丸祠
- 二ノ門:廃絶。
- 弁財天
- 宝塔
- 子守神社
- 一ノ門:廃絶。
- 真増寺:曹洞宗。
- 上裏不動明王:
- 賢居院:臨済宗南禅寺派。1394年、大草村に創建。のち現在地に移転。
- 白岩大龍王
石段
石段1425段がある。
- 神楽殿:廃絶
- 神輿殿:廃絶
- 利修像:
- 仁王門:
- 笠杉
- 子院群:
- 丈六薬師如来像:廃絶。
子院
- 松高院:現存。天台方学頭。東照宮別当。現在は高野山真言宗。明治22年焼失し、増道院跡に移転した。
- 岩本院:明治18年、鳳来寺に合併。
- 等覚院
- 不動院
- 観性院
- 寿命院
- 般若院
- 吉祥坊:承仕。
- 杉本坊:承仕。
- 円蔵坊
- 円龍坊
- 医王院:現存。真言方学頭。
- 藤本院:明治19年、鳳来寺に合併。
- 法華院
- 円琳院
- 日輪院
- 一乗院
- 月蔵院
- 尊教坊:承仕。
- 中谷坊:承仕。
- 善智坊
組織
住職
- 服部賢成
- 藤本哲也
- 藤本高仝
資料
古典籍
- 『鳳来寺興記』:1648年。
- 『三州鳳来寺記』:1666年。
- 『鳳来寺由来』:1801年。
- 『鳳来寺略記』
- 『三河国鳳来寺略縁起』:1763年。愛知県立図書館[1]
- 『古事類苑』
- 『一九之紀行』[2]
- 『参州鳳来寺絵図』[3]
文献
- 『鳳来寺山文献の研究』
- 2005『鳳来町史鳳来寺山編』
- 1967『鳳来町史文化財編』
- 1994『鳳来町歴史編』
- 1978『三州鳳来寺山文献集成』
- 2019『鏡岩下遺跡発掘調査報告書』[4]