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国庁寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年6月23日 (日)
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[[平家]]の奈良焼き討ち後の再建のために周防国は東大寺領となるが、[[毛利家]]の進出で国府機能は奪われた。名目上の国府として全国で唯一存続していたが、1871年(明治4年)に廃絶した。1860年(万延1年)建立の「国庁」碑がある。本尊は阿弥陀寺本堂の西の間に祀られている。[[国庁八幡宮]]があった。 | [[平家]]の奈良焼き討ち後の再建のために周防国は東大寺領となるが、[[毛利家]]の進出で国府機能は奪われた。名目上の国府として全国で唯一存続していたが、1871年(明治4年)に廃絶した。1860年(万延1年)建立の「国庁」碑がある。本尊は阿弥陀寺本堂の西の間に祀られている。[[国庁八幡宮]]があった。 | ||
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2024年6月23日 (日) 時点における最新版
国庁寺(こくちょうじ)は、山口県防府市国衙にあった南都仏教の寺院。本尊は十一面観音。廃絶。東大寺の管轄下にあった周防国府の政庁が寺院化したもの。周辺には重源が設けた周防・阿弥陀寺や辻福寺などがあった。東大寺大勧進が周防国司を兼ね、阿弥陀寺住職となり、国司上人と呼ばれた。
平家の奈良焼き討ち後の再建のために周防国は東大寺領となるが、毛利家の進出で国府機能は奪われた。名目上の国府として全国で唯一存続していたが、1871年(明治4年)に廃絶した。1860年(万延1年)建立の「国庁」碑がある。本尊は阿弥陀寺本堂の西の間に祀られている。国庁八幡宮があった。