ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
菅大臣神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
細 (1版) |
|||
27行: | 27行: | ||
|style="background-color:#ededed"|関連記事 | |style="background-color:#ededed"|関連記事 | ||
| | | | ||
- | *[[天満信仰]] | + | *[[天満信仰]] |
+ | *[[天満宮聖跡二十五霊社]] | ||
+ | *[[菅原道真旧跡]] | ||
+ | |||
<!-- | <!-- | ||
|- | |- | ||
39行: | 42行: | ||
==概要== | ==概要== | ||
- | + | 菅原道真生誕地の菅原家邸宅「白梅殿」跡に鎮座する天満宮。祭神は「菅原道真公、尼神、大己貴命」である<ref>『北野誌』「全国天満宮所在地一覧」10頁</ref>。創建不詳。『拾芥抄』にいう菅原家の邸宅跡「'''白梅殿'''」とされる。[[太宰府天満宮]]の飛梅は当地から飛来していったとされる。南北に二つの神社があり、南を'''天神御所'''、'''白梅殿'''と称し、北を'''菅家御所'''、'''紅梅殿'''と称す。南が本社であり、生誕地とされ産湯の井戸がある。[[曼殊院門跡]]が代々社務を兼帯してきたが神仏分離によって独立した。1873年(明治6年)4月に村社となるが、1902年(明治35年)3月14日府社となった<ref>『神道史大辞典』「府県社一覧」には1901年(明治34年)3月、県社列格とある。</ref>。現在の本殿は[[下鴨神社]]旧本殿を拝領したものという。北の紅梅殿も独立した神社で[[北菅大臣神社]]と称し、菅原是善を祀る。1873年(明治6年)4月村社となる。(12頁) | |
==画像== | ==画像== | ||
<gallery perrow="3"> | <gallery perrow="3"> |
2011年11月14日 (月) 時点における版
菅大臣神社 かん だいじん じんじゃ | |
概要 | 菅原道真生誕地の菅原家邸宅「白梅殿」跡に鎮座する天満宮。 |
奉斎 | 菅原道真公、尼神、大己貴命 |
所在地 | 京都府京都市下京区菅大臣町189 |
所在地(旧国郡) | 山城国 |
所属(現在) | |
格式など | 村社 |
関連記事 |
目次 |
概要
菅原道真生誕地の菅原家邸宅「白梅殿」跡に鎮座する天満宮。祭神は「菅原道真公、尼神、大己貴命」である[1]。創建不詳。『拾芥抄』にいう菅原家の邸宅跡「白梅殿」とされる。太宰府天満宮の飛梅は当地から飛来していったとされる。南北に二つの神社があり、南を天神御所、白梅殿と称し、北を菅家御所、紅梅殿と称す。南が本社であり、生誕地とされ産湯の井戸がある。曼殊院門跡が代々社務を兼帯してきたが神仏分離によって独立した。1873年(明治6年)4月に村社となるが、1902年(明治35年)3月14日府社となった[2]。現在の本殿は下鴨神社旧本殿を拝領したものという。北の紅梅殿も独立した神社で北菅大臣神社と称し、菅原是善を祀る。1873年(明治6年)4月村社となる。(12頁)
画像
参考文献
- 梅原達治1989(平成1)「松浦武四郎『聖跡二十五霊社順拝双六』」『札幌大学教養部教育研究』
- 『北野誌』「全国天満宮所在地一覧」
- 天満信仰#参考文献