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雲林院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[淳和天皇]]離宮の紫野院(雲林亭)跡に建てられた寺院。もと天台宗だったが、現在は臨済宗大徳寺の塔頭として名前を残している。 | [[淳和天皇]]離宮の紫野院(雲林亭)跡に建てられた寺院。もと天台宗だったが、現在は臨済宗大徳寺の塔頭として名前を残している。 | ||
紫野院は、淳和天皇から[[仁明天皇]]、仁明天皇からその皇子の常康親王に伝承される。仁明天皇崩御とともに親王は出家して当所に隠棲し、貞観11年(869)、遍昭を招いて寺院とした。これにちなんで、親王は雲林院宮と称した。のち[[元慶寺]]の別院となった。応和3年(963)、[[村上天皇]]が多宝塔を建てている。[[天台宗]]の大寺だったが衰退し、寺地は[[臨済宗]][[大徳寺]]に明け渡され、同寺の塔頭に名前を残すのみとなった。 | 紫野院は、淳和天皇から[[仁明天皇]]、仁明天皇からその皇子の常康親王に伝承される。仁明天皇崩御とともに親王は出家して当所に隠棲し、貞観11年(869)、遍昭を招いて寺院とした。これにちなんで、親王は雲林院宮と称した。のち[[元慶寺]]の別院となった。応和3年(963)、[[村上天皇]]が多宝塔を建てている。[[天台宗]]の大寺だったが衰退し、寺地は[[臨済宗]][[大徳寺]]に明け渡され、同寺の塔頭に名前を残すのみとなった。 | ||
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2014年8月24日 (日) 時点における版
京都府京都市北区。 淳和天皇離宮の紫野院(雲林亭)跡に建てられた寺院。もと天台宗だったが、現在は臨済宗大徳寺の塔頭として名前を残している。 紫野院は、淳和天皇から仁明天皇、仁明天皇からその皇子の常康親王に伝承される。仁明天皇崩御とともに親王は出家して当所に隠棲し、貞観11年(869)、遍昭を招いて寺院とした。これにちなんで、親王は雲林院宮と称した。のち元慶寺の別院となった。応和3年(963)、村上天皇が多宝塔を建てている。天台宗の大寺だったが衰退し、寺地は臨済宗大徳寺に明け渡され、同寺の塔頭に名前を残すのみとなった。